タレント@タレント検索ちゃん

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NEWS【タレント検索ちゃん】

NEWS(ニュース)は、日本の男性アイドルグループ。ジャニーズ事務所所属。レコード会社ジャニーズ・エンタテイメント所属。2003年9月15日9人で結成。(2007年からは6人で活動。)デビュー当時は「NewS」という表記が一部マスメディアで使われたが、正式な表記は「NEWS」である。

>>NEWS作品一覧

NEWSメンバー

【現在】

山下智久(やました ともひさ、1985年4月9日 - 、A型)
小山慶一郎(こやま けいいちろう、1984年5月1日 - 、O型)
錦戸亮(にしきど りょう、1984年11月3日 - 、O型)
増田貴久(ますだ たかひさ、1986年7月4日 - 、O型)
加藤成亮(かとう しげあき、1987年7月11日 - 、A型)
手越祐也(てごし ゆうや、1987年11月11日 - 、B型)

【研修生へ降格処分】

内博貴(うち ひろき、1986年9月10日 - 、AB型)
草野博紀(くさの ひろのり、1988年2月15日 - 、B型)

【事務所脱退】

森田貴寛(もりた たかひろ、1988年4月17日 - 、A型)※NEWSとして活動していた時は森内貴寛

NEWS略歴

『バレーボールワールドカップ2003』イメージキャラクターとして、ジャニーズJr.内でも特に人気の高かった山下を中心に、関西ジュニアから錦戸・内、関東ジュニアより小山・増田・加藤・手越・草野・森田がメンバーに選ばれ、9人編成で結成された。当時、メンバーには『バレーボールワールドカップ2003』開催期間中の限定ユニットであると説明されていたが、活動はその後も継続された(山下出演『ザ少年倶楽部プレミアム』より)。
NEWS結成時、錦戸・内の2人は関ジャニ∞にも所属しており、東京・大阪と二つの都市を拠点にするメンバーが混在しているため、状況や活動地域によってメンバー構成が変化する体制をとっていた。
グループ名の由来は「新しい情報」「報道」の他に、「North」「East」「West」「South」、東西南北にグローバルな活躍をしていこう、という意味が込められている。
2003年9月15日、新高輪プリンスホテル・飛天の間で結成披露の記者会見を行う。
2003年11月、『バレーボールワールドカップ2003』のイメージソング『NEWSニッポン』でデビュー。このCDはセブン-イレブン限定発売となり、音楽業界でも異例の試みとなった。
2003年12月、「受験のために学業に専念する」というコメントを残し、森田が休業・脱退。以降、8人体制となる。
2004年3月、『第35回春の高校バレー全国大会』スペシャルサポーターに抜擢。
2004年5月、『アテネオリンピックバレーボール世界最終予選』スペシャルサポーターに抜擢。同月12日、イメージソング『希望~Yell~』でメジャーデビュー。オリコンシングルチャート初登場1位、累計売上約40万枚を記録。
2004年7月、『バレーボール・ワールドグランプリ2004』スペシャルサポーターに抜擢。
2005年3月、『第36回春の高校バレー全国大会』スペシャルサポーターに抜擢。
2005年6月、『バレーボール・ワールドグランプリ2005』スペシャルサポーターに抜擢。
2005年7月16日、内が不祥事により芸能活動の無期限謹慎処分を受けた。当面7人での活動となる。
2005年11月、山下が亀梨和也(KAT-TUN)と期間限定ユニット・修二と彰を結成。同月2日にシングル『青春アミーゴ』をリリース。12月5日付の週間チャートで、シングルとしては2005年初のミリオンセラーを達成。
2006年1月31日、草野が不祥事により芸能活動を自粛。当面6人での活動となる。
2006年3月15日、シングル『サヤエンドウ/裸足のシンデレラボーイ』をリリース。メジャーデビュー以来、オリコンチャートでの5作連続初登場1位を記録。これはKinKi Kids・光GENJIに続く歴代単独3位である。
2006年4月1日、NEWS・関ジャニ∞・KAT-TUNの三組合同ファンクラブ・You&Jが発足される。
2006年5月1日より、メンバー二人の芸能活動自粛に伴い、連帯責任という形でグループ単位での活動を年内いっぱい休止。以降、メンバーはソロや新ユニットを中心に活動する。
2006年8月、山下とタイの兄弟アイドルGOLF&MIKEによる期間限定ユニット・Kitty GYMが『バレーボール・ワールドグランプリ2006』スペシャルサポーターに抜擢。同30日、イメージソング『フィーバーとフューチャー』をリリース。
2006年11月15日、手越と増田がユニット・Tegomassを結成し、シングル『Miso Soup』をスウェーデンでリリース・デビュー。12月20日には名義をテゴマスとし、シングル『ミソスープ』を日本でリリースした。
2006年12月30日、山下・小山・錦戸・加藤・増田・手越の6人でのグループの活動再開が公式サイト・Johnnys netで発表される。また、内・草野がNEWSを脱退し事務所研修生となる事も併せて発表された。
2007年1月1日、『ジャニーズカウントダウン2006-2007』に出演し、大勢のファンの前で活動再開発表後初めてのステージを披露した。
2007年1月10日、八芳園で増田の成人式を兼ねたNEWSの再始動記者会見を行う。
2007年3月、テゴマスが『第38回春の高校バレー全国大会』スペシャルサポーターに抜擢。
2007年3月21日、活動再開後初となるシングル『星をめざして』をリリース。メジャーデビュー以来、オリコンチャートでの初登場1位の記録が6作連続となる。
2007年5月16日、ジャニーズ事務所から同年夏上演の少年隊主演舞台「PLAYZONE2007」で元メンバーの内と草野が現場復帰することが発表された。

NEWS作品

【シングル】

NEWSニッポン(2003年11月7日、セブン-イレブン限定発売)
希望~Yell~(2004年5月12日)
紅く燃ゆる太陽(2004年8月11日)
チェリッシュ(2005年3月16日)
TEPPEN(2005年7月13日)
サヤエンドウ/裸足のシンデレラボーイ(2006年3月15日)
星をめざして(2007年3月21日)

【アルバム】

touch(2005年4月27日)

【DVD】

NEWSニッポン0304(2004年4月7日)
SUMMARY of Johnny' s World(2005年4月20日)

NEWS出演

【テレビ番組】

ザ少年倶楽部(BS2・BShi)
裸の少年(テレビ朝日系)
Ya-Ya-yah(テレビ東京系) - 小山・増田・加藤・手越
世界の果てまでイッテQ!(日本テレビ系) - 手越

NEWSベストテン(2003年10月20日~11月1日、フジテレビ系)
NEWS柳本JAPAN(2005年6月23日までの4日間、フジテレビ系)

【ドラマ】

プロポーズ大作戦(2007年4月~、フジテレビ系) - 山下
パパとムスメの7日間(2007年7月~、TBS系) - 加藤

【CM】

TBCグループ エステティックサロンTBC

【ラジオ】

KちゃんNEWS(文化放送) - 小山+メンバーから1人
増田貴久のMASTER HITS(bayfm) - 増田
SHIGET TOGETHER(FM-FUJI) - 加藤

NEWSのオールナイトニッポン(ニッポン放送)

【コンサート】

台湾音楽イベント『相信台湾』(2003年10月10日、特別出演)
A HAPPY "NEWS" YEAR 2004(2004年1月1日 - 4日、ホテル・グランパシフィック・メリディアン、13公演)
SUMMARY of Johnny's World(2004年8月8日 - 8月29日、原宿新ビッグトップ)
NEWSnowCONCERT~ニュースのコンサート~(2004年12月28日 - 2005年1月7日、東京・大阪、13公演)
ジャニーズビッグサプライズカウントダウンライブ(2004年12月31日、東京ドーム)
NIPPON EAST TO WEST SPRING CONCERT 日本横断 大切なひとへ(2005年3月31日 - 5月5日、全国、14公演)
Johnnys Theater "SダUイMジMェAスRトY 2005"(2005年7月26日~28日・8月30日 - 9月4日、品川アクアスタジアム、27公演)
見なきゃソンSONG「PRIDEかけてジャニーズ歌合戦」 at TOKYO DOME since 1998(2005年12月31日、東京ドーム)
A HAPPY NEW YEAR 2006(2006年1月3日 - 9日、横浜アリーナ・大阪城ホール、12公演) NEWS SPRING TOUR 2006(2006年3月25日 - 4月30日、全国、14公演)
ジャニーズカウントダウン2006-2007(2006年12月31日、東京ドーム)
NEWS Concert Tour 2007(2007年2月17日 - 4月15日、全国、21公演)

【イベント】

NEWS大集会(2003年11月9日 - 12月14日、北海道・大阪・福岡・東京)
NEWSプライベートシネマパーティー(2004年9月19日・23日)
Johnny's Film Festa 2004(2004年8月5日 - 8月31日、東京グローブ座)
Johnny's Film Festa 2005(2005年7月25日 - 8月31日、東京グローブ座)
Johnny's Film Festa 2006(2006年8月4日 - 8月31日、東京グローブ座)

NEWS連載

【Johnny's Web】

NEW素(活動休止に伴い終了)
NEWSmile(2007年1月29日~)
山下智久の日記(2003年~) - 山下
メンバー愛(2005年1月10日~) - 小山
錦戸亮(2006年12月4日~) - 錦戸

【雑誌】

NEWStyle(『SEVENTEEN』、活動休止に伴い終了)
NEWSnoNEWS(ニュースのニュース)(『SEVENTEEN』、2007年3/1号~)
0409(『SEVENTEEN』) - 山下
青い独り言(『Myojo』、2006年7月号~) - 加藤
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加護亜依【タレント検索ちゃん】

加護亜依(かご あい、1988年2月7日 - )は、日本の芸能事務所アップフロントエージェンシーに所属していた歌手、女優、タレント。モーニング娘。の元メンバー(4期)で、同事務所のハロー!プロジェクト所属の女性デュオW(ダブルユー)のサブリーダーをつとめていた。奈良県大和高田市出身。血液型はAB型。愛称は、あいぼん、加護ちゃん。

>>加護亜依作品一覧

加護亜依人物、エピソード

趣味は料理。特技は「梨を切ること」とフラフープ。
父親はつんくと同い年で、横浜ベイスターズ三浦大輔投手と親交がある。
両親が17歳のときに生まれたので、本人が1歳になるまで入籍できず、それまでは事実婚だった。
ものまねをする事が大好きで常にものまねの研究をする事に夢中。その他にも、パントマイムが得意であることなど、ハロプロでも有数の芸達者として知られていた。
スポーツは苦手であり、ハロープロジェクト・スポーツフェスティバルでは小学生のキッズにも60メートル走で負けたほどでめちゃイケの特番でクソ女(じょ)に選ばれた。ただしフラフープに関しては相方の辻希美と一緒にギネス記録を達成した。

加護亜依略歴

2000年3月:テレビ番組『ASAYAN』(テレビ東京系)内で行われた「モーニング娘。第3回追加オーディション」にて石川梨華、吉澤ひとみ、辻希美と共に合格。加護に指導した「教育係」は後藤真希。
2000年7月:石川梨華と共にグループ内ユニットタンポポに加入。
2000年~2004年:モーニング娘。W時代と連続してNHK紅白歌合戦に出場。
2000年7月:矢口真里、辻希美と共に身長150cm以下のユニット、ミニモニ。を結成。(同年10月にミニモニ。はミカ・トッドを迎え4人ユニットとなる。2002年9月まで、タンポポとユニット掛け持ちとなる。)
2001年1月:ミニモニ。として正式デビュー。
2002年9月23日:タンポポを卒業。
2004年1月:Hello! Project 2004 Winter ~C'MON! ダンスワールド~の中野サンプラザでの公演で辻希美と共に「モーニング娘。」からの卒業を発表。
2004年5月:辻希美と共に新ユニットW(ダブルユー)を結成。
2004年8月:辻希美と共にモーニング娘。を卒業。
2006年2月:2月10日(金)発売の写真週刊誌「FRIDAY」誌面に、「加護亜依がレストランでたばこを吸っていた」と報道された。所属事務所が事実関係を確認したところ、ほぼ報道されている通りであったため、未成年者喫煙禁止法に触れることから、謹慎処分となった[1]。
2007年1月:謹慎中であるが、Hello! Project 2007 Winter ~集結! 10th Anniversary~の最終日に客席から観覧していたという一部報道があった。
2007年2月23日発売の写真週刊誌「FRIDAY」誌面に、加護本人を取材した記事が掲載された。所属事務所で庶務やライブの裏方などを行なっており、喫煙スキャンダルについて「自分のしたことが本当に多くの人に迷惑をかけた」と反省し、「許されるなら歌いたい」と復帰したい意向を表した。この時点は所属事務所では、復帰の時期は依然未定としていたが、吉澤ひとみのモー娘卒業公演(2007年5月)や20歳の誕生日(2008年2月)に復帰の兆しを見込まれていた[2][3][4][5]。
2007年3月26日:週刊誌「週刊現代」にて、再度喫煙していた疑惑が掲載された。所属事務所が加護本人に事実関係を確認したところ「事実」と述べたため、「2回目という事態を重く受け止める」ということで事務所から契約解除の発表が行なわれ、事実上の芸能界引退が濃厚となった[6]。これを受け、元所属先の芸能プロダクション、アップフロントエージェンシーは所属タレントを再教育すると告知。内容は非公開としている。なお、週刊現代編集長の加藤晴之は、2006年2月のフライデーの報道の当時はフライデー編集部に在籍していた。

加護亜依記録

NHK紅白歌合戦 紅組最年少出場 12歳10ヶ月24日(2000年第51回大会にて)

加護亜依出演

【テレビドラマ】

ナショナル劇場「こちら第三社会部」(2001年9月~12月、TBSなどJNNで放送)
モーニング娘。新春!LOVEストーリーズ 『時をかける少女』(2002年新春特番ドラマ、TBSなどJNNで放送。主演・安倍なつみ)芳山綾菜役(安倍が演じるヒロイン・芳山和子の妹役)
ナショナル劇場こちら本池上署・第1~5シリーズ(2002年~、TBSなどJNNで放送)椎名由美役(高嶋政伸演じる主人公・椎名啓介の娘役)
24時間テレビ 「愛は地球を救う」内のドラマ「父さんの夏祭り」(2002年、日本テレビなどNNSで放送。主演・石川梨華)
VICTORY! ~フットガールズの青春~(2003年、フジテレビなどFNSで放送。主演・松浦亜弥)
ドラマ愛の詩 「ミニモニ。でブレーメンの音楽隊」 (2004年3月6日-27日、NHK教育テレビ) 第9回-第12回 「1949年」 主演。

【その他テレビ番組】

ハロー!モーニング。(2000年4月9日~2007年4月1日、テレビ東京ほかTXN)
おはスタ(不定期、テレビ東京)
ティンティンTOWN!(2002年7月5日-2004年3月26日、日本テレビほかNNS)
二人ゴト(2004年5月19日-21日 ・ 8月10日-17日、テレビ東京)
魔女っ娘。梨華ちゃんのマジカル美勇伝(2004年12月7日-10日 ・ 12月20日-24日、テレビ東京)

【ラジオ】

タンポポ編集部 OH-SO-RO!(2000年10月3日-2002年9月17日、TBSラジオ)
ミニモニ。のみんなHAPPY!(2001年~2003年、ニッポン放送などNRN)
MBSヤングタウン土曜日(2003年5月10日-2004年3月13日、毎日放送)
タンポポとして各番組に出演

【CM】
W結成前から、辻と組んで、あるいはさらにプラス石川梨華、あるいはプラス松浦亜弥などばかりでソロ仕事はなかった。 詳しくはWの項を参照。


【DVD】

こちら本池上署/第1シリーズ/DVD-BOX(5枚組)

【書籍】

写真集

辻希美・加護亜依写真集 辻加護(2002年5月22日、ワニブックス) ISBN 4-8470-2710-8 加護亜依写真集 KAGO ai(2003年11月25日、ワニブックス) ISBN 4-8470-2783-3

その他

U+U=W(ユー プラス ユー イコール ダブルユー)(2004年12月4日、竹書房) ISBN 4-8124-1947-6

加護亜依所属ユニット

モーニング娘。(2000年 - 2004年)
タンポポ(2000年 - 2002年)
シャッフルユニット
黄色5(2001年 T&Cボンバー解散後)
三人祭(2001年)
ハッピー7(2002年)
SALT5(2003年)
H.P.オールスターズ(2004年)
ミニモニ。(2001年 - 2004年)
ポッキーガールズ(2002年、江崎グリコポッキーCMキャラクター)
モーニング娘。さくら組(2003年 - 2004年)
W(ダブルユー)(2004年 - 2007年)

加護亜依ものまねレパートリー

松浦亜弥(明石家さんまに「悪意がある」と切り捨てられた。(「さんまのまんま」より))
藤本美貴
所ジョージ
明石家さんま
ちびまる子ちゃんのまる子とたまちゃん
うる星やつらのラム
電ボ三十郎(電ボ)(おじゃる丸)
となりのトトロの草壁メイ
松本引越センターのCMに出ていた女の子
松野明美
黒柳徹子
Gackt
マキバオー(みどりのマキバオー)
ドラマ「池袋ウエストゲートパーク」の長瀬智也

ほしのあき【タレント検索ちゃん】

ほしのあき(1977年3月14日 - )は、日本のグラビアアイドル、タレント、女優。
東京都世田谷区出身。東京都立玉川高等学校卒業。A-team(エーチーム)所属。本名及び女優としての名前は星野 亜希(ほしの あき)。

>>ほしのあき作品一覧

ほしのあき来歴

高校時代、ティーンズ雑誌『プチセブン』(小学館)の専属モデルを務め、その後は女優として『三姉妹探偵団』(日本テレビ)や『愛の劇場』(TBS)といったテレビドラマや映画、CMなどで活躍。現在はグラビアアイドルとして写真集、DVD、テレビの深夜番組を中心に活躍中。
実はドラマデビューと前後して、広末涼子の後任としてP&G「クレアラシル」のCMに出演していたが、CM終了後はかえって鳴かず飛ばず状態に陥ったそうだ(本人がMBSの『痛快!明石家電視台』にて公言した)。なお、あっぱれ!!さんま大教授に出演した際に、そのCMを流したのだが、主役と譲らないほしのは明石家さんまからは「主役じゃなくて店員さんでしょ」と突っ込まれていて(実際に女子高生を相手にする店員役である)、自ら営業に回ったことなども明かしている。
有料サイトも含め長らくグラビア系の仕事が活動の中心であったが、2004年後半頃から急激に仕事を増やしテレビのバラエティ番組への出演も多くなった。
2006年、日本テレビ系「ドラマ・コンプレックス」内放送ドラマ『都立水商!』出演より、テレビドラマ出演など女優としての活動の際には本名の「星野亜希」名義を使うことになった。バラエティ番組やグラビアなどではこれまで通り「ほしのあき」の名義を使用する。2006年4月1日に放送されたTBS系『オールスター感謝祭'06超豪華!クイズ決定版』では、ドラマ『弁護士のくず』出演者としての出演だったため「星野亜希」名義だった。
今のようにテレビに頻繁に登場する前の2002年から2003年頃は、プロレス団体WEW(故・冬木弘道の設立)の月1興業のエンターテイメント部門の常連で、リング上でマイクを持ちレスラーを相手にコスプレ衣装で迫真の演技をしていた(2003年の冬木弘道の死去後にWEWの後に設立された”冬木軍プロモーション”{現在のアパッチプロレス軍}からは姿は見えなくなり、グラビアやテレビの出演が多くなった)。
「2006FIFAワールドカップドイツ大会」のパブリック・ビューイング記者発表会で日本代表を応援する「F組応援団」の団長として出演した。
2006年5月7日に、横浜スタジアムのプロ野球・横浜ベイスターズ対阪神タイガース9回戦では「星野亜希」名義で始球式を務めた(スポーツ紙の報道では『ほしのあき』と『星野亜希』、『ほしのあき(女優名・星野亜希)』と各紙によって表記がまちまちだった)。 以前まで『1978年生まれ』と1歳サバを読んでいたが、2006年から『1977年生まれ』と公式プロフィールなどに掲載されている。
2007年4月2日からお昼の人気番組『笑っていいとも!』(フジテレビ系)のレギュラー(毎週月曜日)。

ほしのあき特徴

30歳を迎えながら少女っぽい顔立ちで、自ら『永遠の少女』と称している。また、「ロリエロ隊長」の異名を持つことでも有名。
陰毛が濃いのが悩みで、現在はエステで腋とともに脱毛している(本人がMBSの『痛快!明石家電視台』にて公言した)。
2005年、『笑いの金メダル』に出演した際、「まだちゃんとした彼氏が出来たことがない」と暴露。
一時期はモデル時代の写真との比較から、豊胸疑惑が持ち上がったが、テレビ番組中で自らCTスキャンによる検査を受け、その疑惑を否定した。だが、その検査画像が本物であったとしてもシリコンおよび生理食塩水を注入した可能性を否定できたのみであり、専門家は「スキャンを使っても、最終的には直接触らないと分らない」と発言しているため疑惑が晴れていない。現在では、ややそれを自虐ネタとして扱うことも多い。
おそらく史上最年長のグラビアアイドルであろうと言われている。2007年現在、事実上最年長のグラビアアイドルは31歳の沢地優佳と同じく31歳のインリン・オブ・ジョイトイだが、インリンは事務所公認で実際よりも若く年齢詐称をしているためである。多くのグラビアアイドルはタレントや女優に転向するなどしているため、ほしのあきは珍しいタイプである。
検索ランキングでは十代のアイドルを抑えて1位になるなど、依然人気は衰えを知らない。その一方では、グラビアを引退する年齢の規定は厳密に存在しないとは言え、従来ならばグラビアを引退するであろう大学卒業年齢を超越してもなおグラビアに拘る人間も多数続出し、彼女の活躍が、近年見られるグラビアアイドルの高齢化の元凶という批判も出ている(余りに「最年長グラドル」に拘りすぎているために、若手グラビアアイドルから「もう、いいんじゃないですか?」と言われた事もある)。また巨乳、ロリータ系ファンを中心に様々な層から支持されているが、逆に一部の清純派や正統派を中心としたアンチも多いのも事実である。
2006年度ゴールデン・アロー賞「グラフ賞」を受賞。代々受賞者が務める「雑誌愛読月間」のイメージガールを“ロリエロ”な“30歳”(=2007年に迎える年齢)が務めることとなった。 
本人いわく胸は3割がた(谷間から数えて)見られても平気だそうで、胸が揺れるのを見られたからといって別に恥ずかしくもないそうだ。巨乳アイドルの中でも抜きん出たプロ意識とエンターテイナー性を持ち、その姿勢は「プロ巨乳」と呼ばれる。また『ジャイケルマクソン』で自らパンストを被るというガッツの持ち主。後に外国サイトで動画が流される(その時書いてあったのは『日本の豚顔』)。
ただでさえ痩せすぎが指摘されているが、未だにグラビアの撮影前は減量に励んでおり、ファンから健康面を懸念する声も少なくない。
あまり裕福でない家庭に育ったらしく、高校時代は友人からブラジャーを貰っていた。(『くるくるドカン』にて)

ほしのあき趣味・特技

散歩、マッサージ通い、種無しブドウを喉に詰めて戻す(最高10粒)

ほしのあき出演

【バラエティ】

ウッチャンナンチャンのウリナリ!!(日本テレビ、終了)
ばちこい!(瀬戸内海放送、終了)
たかじんONEMAN(毎日放送 『ランキングまいど』のみ)
天才のパチスロ(フジテレビ721)
ロンドンハーツ(テレビ朝日)
農ドルちゃん(2004年4月 - 2004年9月、テレビ大阪)
あきと由佳のIdol Park(2004年7月 - 2006年7月、CSエンタ371)
最強メダル伝説(2004年8月 - 終了、サンテレビ) 大城美和とローテーション出演
クイズ!ヘキサゴンII(2005年6月 - 、フジテレビ)
ヒロイン誕生!(2005年7月 - 2006年3月、テレビ大阪)
ジャイケルマクソン(2006年4月 - 、毎日放送)
プレミアの巣窟(2006年4月 - 2006年9月、フジテレビ)
ぶっコギ!(2006年10月 - 、日本テレビ)
グラビアトークオーディション(2006年10月 - 2007年3月、フジテレビ)
マニアの叫び(2007年1月 - 2007年3月、テレビ東京)
森田一義アワー 笑っていいとも!(2007年4月 - 、フジテレビ)
独占!女だらけの60分 レディGO!(2007年4月 - 、テレビ朝日)

【テレビドラマ】

イタズラなKiss(1996年、テレビ朝日) - 琴子のclassmate 役
三姉妹探偵団(1998年、日本テレビ)
39歳の秋(1998年、TBS)
都立水商!(2006年、日本テレビ) - 秋葉萌 役
弁護士のくず(2006年、TBS) - 小俣夕花 役
ドラゴンフライ(2006年、WOWOW) - リュウ 役
ぼくだけの☆アイドル(2007年、テレビ東京) - 高鳥美千 役

【映画】

催眠(1999年)
スペーストラベラーズ(2000年) - 海野ゆかり 役
ファイト☆ガールズ(2003年) - カコ 役
けっこう仮面 SURPRISE(2004年) - 打田真弓 役
けっこう仮面 RETURNS(2004年) - 高浜まゆみ 役
クーガの城 女囚1316(2004年) - 佐山ミサキ 役
カチコミ刑事 オンドリャー!大捜査線 心斎橋を封鎖せよ(2006年) - サラダ 役
Wスティール(2006年)
シュレック3(2007年) - シンデレラ 役(声)
劇場版 仮面ライダー電王 俺、誕生!(2007年8月4日公開予定、長石多可男監督) - 千姫 役
阿波DANCE(2007年) - 田丸さやか 役

【CM】

P&G クレアラシル
しんわ(九州など西日本を基盤とする消費者金融)
セクシービーナス(松原梨沙と共演)
赤城乳業「ガツンとみかん」
パワーエイド(コカ・コーラ):平面のみ。なかやまきんに君と共演。
アデランス
ケイ・オプティコム(関西地区のみ)
平川商事・パチンコアロー(関西ローカル かつて司会をした「ヒロイン誕生」(テレビ大阪)のスポンサーでもあった)
奈良健康ランド(関西ローカル)

ほしのあき作品

【イメージビデオ】

I am…
Play H
H学園
AAA~Triple A~
欲しいの…
Se-女!
万華鏡
STAR
ハニー☆エンジェル
With you
I Wish You Love
月刊 ほしのあき
Portfolio
検査入院
ほしの万博

【シングル】

にゃぁあ!(2005年9月21日発売)デビュー曲
Very Merry X'mas/Kiss and hugs(磯山さやか、佐藤寛子と組んだユニット『マシュマロ・キッス』というユニット名で。2005年12月7日発売)

【ゲーム】

ファインダーラブ ほしのあき 南国トラブル ランデブー(2006年6月29日発売)

ほしのあき書籍

【写真集】

H学園(2003年7月、ISBN 4-8946-1948-2)
AN ADULT AKI(2003年12月、ISBN 4-8604-6073-1)
DarnTarn(2004年5月20日、ISBN 4-8124-1647-7)
H―ほしのあき写真集(2005年2月、ISBN 4-0878-0404-6)
月刊 ほしのあき(2005年7月、ISBN 4-1079-0145-9)
秘桃(2005年11月26日、ISBN 4-8470-2899-6)

【ムック】

ほしのあきエロの力
スポ・エロ・七輪

井上真央【タレント検索ちゃん】

井上真央(いのうえ まお、1987年1月9日 - )は、神奈川県横浜市磯子区出身の女優。所属事務所はseventh avenue。身長は158cm。
趣味は、サッカー観戦・ドライブ・バスケットボール・バドミントン・日舞・音楽・油絵。極度の近眼である。裸眼視力が0.02の為、コンタクトレンズを使用している。14歳年上の兄がおり、その兄はかつてモデルをやっていたとのこと(とんねるずのみなさんのおかげでしたより)。
横浜市立梅林小学校、横浜市立浜中学校、日本大学藤沢高等学校卒業。現在は明治大学文学部に在学、文学科演劇学を専攻。
大学での第2外国語は中国語を選択。ゼミではシェークスピア、チャップリンを学習。

>>井上真央作品一覧
井上真央略歴

母親の薦めで4歳のとき劇団東俳に入ったのがきっかけで芸能界へ。(タレントデータバンク『注目!インタビュー』より)
5歳の時に子役デビュー。数々のドラマ・CMに出演。
1999年、CBC製作・TBS系列放送の「キッズ・ウォー」シリーズの今井茜役を演じ、その3作目では昼ドラとしては異例の最高視聴率17.2%を記録して一躍有名になる。『キッズ・ウォー5~ざけんなよ~』で初主演を果たす。
2002年、高校進学で学業に専念する為、芸能活動を休止。
2005年、明治大学文学部に入学。
2005年、たむらプロより、『救命病棟24時』で共演した松嶋菜々子の所属するseventh avenueへ移籍(以後、松嶋との共演が多い)。
2005年10月、TBS系列放送の『花より男子』の主人公・牧野つくし役を好演、平均視聴率19.8%を獲得し好評を博す。
2006年、『チェケラッチョ!!』のヒロイン・南風原唯役で映画デビュー。
2007年1月、『花より男子』の続編『花より男子2(リターンズ)』に主演、前作を上回る平均視聴率21.6%、最高視聴率27.6%を達成する快挙となった。
2007年5月、ヒロインを務めた映画『ゲゲゲの鬼太郎』が興行収入20億を超える大ヒットとなり、幅広い世代に認知度を高めた。
2007年7月、『ファースト・キス』で月9初主演予定。

井上真央特徴

火垂るの墓では、戦時中の女学生とその女学生の孫の役を演じてそのイメージの違いの演技に好評を受ける。
高校3年生の時に家庭教師のトライの個別指導塾部門でマンツーマンで156時間小論文を勉強して、AO入試で明治大学に入学した(2006年に家庭教師のトライのCMに出演)。
ものまねができる(田中邦衛・いっこく堂など)。
好きなアーティストはハナレグミ。
オーディションを受けた際に『青い鳥』では鈴木杏に、『3年B組金八先生』では上戸彩に競り負けたことがある。

井上真央主な出演番組等

【テレビドラマ】
真夏の刑事(1992年)
学校があぶない!(1992年)
いつみても波瀾万丈(1992年、日本テレビ)※五月みどり(幼少時代) 役
潰された顔!残酷な写真・渡良瀬川甦る殺人残像(1992年)
心の旅シリーズ 「波多町(前・後)」(1993年)
鍵師2(1994年)
真夜中の乗客(1994年)
忍者戦隊カクレンジャー(1994年、テレビ朝日) - ニンジャホワイト・鶴姫(幼少時代) 役
とおりゃんせ(1995年、NHK総合) - おゆみ 役
蔵(1995年、NHK) - 田乃内烈(少女時代) 役
元気をあげる(1996年) - 二谷舞子 役
朝日に別れの接吻を(1996年) - 小早川有里沙 役
暴れん坊将軍Ⅶ(1997年、テレビ朝日) - 小夜 役
水戸黄門第25部(1997年、TBS)
寺子屋ゆめ指南(1997年、NHK総合) - お咲役
金のたまご #3(1997年)
新・半七捕物帳(1997年、NHK)
グルメミステリー女出張料理人が行く!(1997年)
緋の稜線(1998年、フジテレビ) - 各務望恵 役
遠山の金さんVS女ねずみ(1998年、テレビ朝日)- とんぼ役
櫂(1999年、NHK-BS2) - 富田綾子 役
キッズ・ウォーシリーズ~(CBC) - 今井(中西)茜 役
キッズ・ウォー~ざけんなよ~(1999年)
キッズ・ウォー2~ざけんなよ~(2000年)
キッズ・ウォー3~ざけんなよ~(2001年)
キッズ・ウォースペシャル~ざけんなよ~(2002年)
キッズ・ウォー4~ざけんなよ~(2002年)
キッズ・ウォースペシャル~愛こそすべてだ!ざけんなよ~(2002年)
キッズ・ウォー5~ざけんなよ~(2003年)
キッズ・ウォースペシャル~これでファイナル!ざけんなよ~(2003年)
2000 FNS 1億2700万人の27時間テレビ夢列島 ~家族 愛 Love You~スペシャルドラマ「父さん」(2000年、フジテレビ) - 優 役
ホームドラマ!(2004年、TBS) - 長峰翔子 役
救命病棟24時(2005年、フジテレビ) - 小久保紗英 役
花より男子(2005年、TBS) - 主演・牧野つくし 役
火垂るの墓(2005年、日本テレビ) - 澤野なつ・光村恵子 役
チェケラッチョ in TOKYO(2006年、フジテレビ) - 南風原唯 役
花より男子2(リターンズ)(2007年、TBS) - 主演・牧野つくし 役
2夜連続 シェイクスピア ドラマ・スペシャル 第1夜『王様の心臓~リア王より~』(2007年、日本テレビ) - 刈谷さくら 役
ファーストキス(2007年、フジテレビ) - 主演・福永美緒 役
スペシャルドラマ 『花いくさ~京都祇園伝説の芸妓・岩崎峰子~』(2007年秋、放送予定、フジテレビ) - 岩崎峰子 役

【映画】

チェケラッチョ!!(2006年、東宝、宮本理江子監督) - 南風原唯 役
ゲゲゲの鬼太郎(2007年、松竹、本木克英監督) - 三浦実花 役
時代劇映画 怪談(2007年夏公開、松竹、中田秀夫監督)- お久 役

【舞台】
ストーンウェル『樋口一葉』(2002年)

【CM】

フジッコ 「ナタデココ」(1994年)
日本ユニシス(1995年)
セガ (1996年)
東芝(1996年)
三井不動産販売 「リハウス」(1997年) リハウスガール池脇千鶴の妹役
学習研究社(1997年)
花王 「ブローネ薫りヘアカラー」(2000年)
家庭教師のトライ(2006年~ 本人が実際に、派遣された家庭教師に就いて勉強したとの事)
みずほ銀行(2006年~)
カゴメ 「野菜生活」(2007年~)

【ビデオ】
十五の夏に(2002年、竹書房)

【DVD】
十五の夏に(2002年、竹書房)

井上真央その他の活動

にTBSで放送されたドラマ「花より男子」と「週刊ザテレビジョン」によるサプライズ企画として11月30日発売号で表紙を飾り、直筆サイン入りレプリカレモンが特別に出品された。
ドラリオン スペシャルサポーター

井上真央書籍

十五の夏に(2002年、竹書房)
G(グラビア)ザテレビジョン(vol.2)(2006年、角川インタラクティブ・メディア /角川書店)
井上真央 2007(2007年、公式サイト・TSUTAYA Onlineのみの限定販売だったが後に書店販売)

東方神起【タレント検索ちゃん】

東方神起(とうほうしんき)は、韓国の5人組の歌手グループである。SMエンターテインメント(SM Entertainment)所属。
平均年齢19歳、平均身長180cmでコーラス、アカペラ、ダンスをこなす。2004年2月に韓国でシングル「Hug」を発表しデビュー、トップスターの仲間入りをし、最近では俳優など多方面での活躍も見せている。ジュンス以外のメンバーは全員、SM Entertainment主催の各種オーディションで入賞している。ちなみに、韓国国内におけるこのグループの読み方は「トンバンシンギ」である。

>>東方神起作品一覧

東方神起来歴

2005年4月に日本で「Stay With Me Tonight」を発表しデビューを果たす。 現在日本を中心にアジア各国へ進出中。V6とイベントのライブで共演もしている。

2006Mnet-KMミュージックフェスティバルグループ部門最高アーティスト賞・m-net.com賞、m-netプラスモバイル賞・今年最高のアーティスト賞受賞(11月25日)

2006第16回ソウル歌謡大賞本賞・モバイル人気賞・大賞受賞(12月1日)

2006第21回ゴールデンディスク賞(GOLDEN DISK AWARDS) 大賞受賞(12月14日)

2006年アルバム販売量集計(韓国音楽産業協会、11月30日まで)で3rd Album『“O”-正.反.合.』(33万4271枚販売)が1位獲得

2006SBS歌謡大典本賞・大賞受賞(12月29日)

2006年DVD販売量1位獲得(SBSiとSMエンターテイメントの共同制作『All about東方神起』、4万7186枚)。

韓国でのファンクラブ名「カシオペア」

日本でのファンクラブ名「ビギスト」

グループカラーはパールレッドである。

東方神起メンバー

東方神起【CHANGMIN (MAX) / チャンミン(マックス)】

1988年2月18日生まれ、B型

身長:186cm(HUGの時で184cmあった)←最近さらに伸びた

本名:(沈 昌/シム・チャンミン)

家族構成:父(高校の国語教師)・母・妹(2人:スヨンさん,ヒヨンさん)

東方神起の中でも一番の長身。

東方神起の中で一番年下のため、マンネ(韓国語で末っ子の意味)と呼ばれることが多い。
東方神起のハイパート担当

メンバーの中で一番よく食べる。高校時代の時は一日8食食べていた。

子供の頃の夢はアナウンサーか、記者などマスコミ系のお仕事。

慶煕大学在学中

読書好き

【口癖】鉄分が足りない

メンバーの中で一番綺麗好き

力がとても強い

腹黒い一面もあり

まつげがとても長い

足が長くスタイルがとても良い

東方神起【YUNHO (U-Know) / ユンホ(ユノ)】

東方神起のリーダー

1986年2月6日生まれ、A型

身長:184cm

本名:(鄭允浩/チョン・ユンホ)

家族構成:父・母・妹

光州広域市出身

左利き

ダンスが得意で、ダンスナンバーではセンターをはることが多い

東方神起のデビュー前に両親を説得するため、目の前でダンスを披露した

東方神起のローパート・ラップ担当

デビュー当時は八重歯があったが、20歳になった時矯正し抜いた

明知大学在学中

マレーシアのコンサートで足の靱帯を痛め、2006年のa-nationに出演できなかった。

デビュー前にDANAのバックダンサー兼ラップを担当していた

明知大学公演芸術学部に次席で合格した

2006年にアンチファンによるボンドジューステロに遭った

東方神起では父のような存在

メンバーの中でも小顔。また、チャームポイントは"小さな顔"と言っていた

東方神起【JEJUNG (HERO) / ジェジュン(ヒーロー)】

1986年1月26日生まれ、O型

身長:178cm

体重:63kg
本名:(金在中/キム・ジェジュン)

家族構成:父・母・姉が8人(ジェジュンが末っ子)

東方神起のメインパート担当
鏡を見るのが癖。これは彼に言わせると彼から見ると他のメンバーはかっこいいのでつい自分のことが気になってしまうらしい。東方神起としてのデビュー前に所属事務所の「美少年コンテスト」で一位になったことがある

メンバーの中で一番おしゃべりがうまく、ラジオなどでもおもしろい話をたくさんしている。

映画・ミリオネアの初恋ではソロ曲「挨拶」を発表

子供の頃の夢はスーパーの社長(アーティストブック「Tomorrow-000777days-」より)

2005年練習中に膝を怪我し手術を受ける。しばらくは出演を控えたり、車椅子や松葉杖で
メディアに登場していた。(その際仮面をつけたダンサーが本人の代わりに踊っていた)

自称東方神起のファンタスティック担当

メンバ1白目が白い(ラジオ[chummy train]より)

特技はものまね

とても天然で不思議な行動をよくとる

リーダーのユノとはデビュー前から仲良し

子供の頃、音痴だった

情が深い

立ち位置は常にセンター

もし女性だったらユンホと付き合いたい(一番考えが男らしいかららしい)

チャームポイントは濃くて長いまつげ

一番年下のチャンミンを一番かわいがってるのはジェジュン

東方神起【YUCHUN (Micky) / ユチョン(ミッキー)】

1986年6月4日生まれ、O型

身長:180cm

本名:(朴有天/パク・ユチョン)

家族構成:(父)・母・弟(パク・ユファン、ミドルネームはリッキー)

小学校6年生から5年間アメリカのバージニア州に移民。なので帰国子女。

「メンバーと同じになりたかった。」と、デビュー後にアメリカの永住権を放棄した。

弟のユファンを可愛がっており、受賞の折よく名前を口にする。

ジェジュン、ジュンスなどピアノが弾けるメンバーの中でも特にピアノが上手で、作詞作
曲も熱心に勉強し、自作曲のなかでも「Like Weather…」は韓国での1stライブで本人のソロ曲として披露され、最新発売のライブCDにも収録されている。

劇場ドラマ『VACATION』のO.S.T表題曲「Holding back the tears」を作詞

趣味:作曲、アイシンカードライブ&チューニング、映画鑑賞

左利き

喘息持ち

高所恐怖症

犬アレルギー

メンバーの中で唯一納豆嫌い。

東方神起のミドルローパート・ラップ担当

自他共に認める程の泣き虫(他のメンバーから一番感受性が強いと 言われていたりもする。)

愛称ミッキーは、歌謡界の神秘的な存在になれるように、またアメリカでのミドルネームと言う事で付けられた。

チャンミンと同じ慶煕大学に合格

チャームポイントは、まばらだけどカールしたまつ毛

ファーストキスは中学生の時

帽子好き

弟のユファンくんが久しぶりに韓国に遊びに来るときに、ベルトや服などいろいろプレゼントを用意していたが、そのうちのひとつのベルトをジェジュンに壊された。(しかしユチョンはそれも知らずにユファンくんにそのままプレゼントしてしまった。後にラジオでジェジュンが暴露。)

今は髪の毛が短いが、長かった頃が特に髪形のイメージチェンジが多かった

東方神起【JUNSU (Xiah) / ジュンス(シア)】

1987年1月1日生まれ(申請の関係で、実際は1986年12月15日)、B型

身長:178cm

本名:(金俊秀/キム・ジュンス)

家族構成:父(ピザ屋経営)・母(元ミスコリア)・兄が1人(ジュノ。ジュンスと二卵性の双子で野球好き・現在は野球選手)

趣味:ピアノ・サッカー・ゲーム・歌

名前の由来は「アジアの星になるように」。アジアから“シア”となった
(韓国語では“アシア”のため)

かわいいキャラで「天使」と言われている

練習生の期間がメンバーの中でもっとも長く6年だった

BoAが事務所の同期である。

Super Juniorのウニョク(イ・ヒョクチェ)とは小学生から仲の良い親友

小学3年生までの将来の夢は、サッカー選手
(今も、生まれ変わるならサッカー選手になりたいとテレビのインタビューで語った)

メンバーのなかでも運動神経は抜群(特にサッカーが大の得意)

自信のある料理はラーメン

好きな日本料理は納豆と博多ラーメン

左利きで、特徴のある笑い声

明知大学在学中

日本にいる時も必ず両親に電話している

変声期の時期が人とは違い3年間も続き大変苦労した

明知大学公演芸術学部に首席で合格した

フランス・アーセナル所属のティエリ・アンリ選手が大好き

初恋は小学三年生の頃、初めての彼女は小学校六年生の時

その次の彼女は中学二年生の時

メンバーの中でもよくしゃべる

2006年韓国で、SMエンターテインメントからデビューした新人歌手チャン・リイン(張力尹)と『Timeless』でデュエットした

2006年劇場ドラマ『VACATION』のO.S.Tのカップリング曲で、「Beautiful Thing」をソロで歌った

高校生の時、罰ゲームでしたキスが初キス(ラジオより)

今は、もしキスをするなら彼女の家の前でしたいらしい

もしも女の子とデートするなら海に行きたいらしい

歌の完成度が高く、ダンスを踊りながらでも声量は落ちず音程も綺麗

長澤まさみ【タレント検索ちゃん】


長澤まさみ
(ながさわ まさみ、本名:同じ、1987年6月3日 - )は、静岡県磐田市出身の女優、アイドル。事務所は東宝芸能所属。堀越高等学校卒業。身長168cm。血液型はA型。愛称はまぁちゃん、まっさん。父親は元ジュビロ磐田監督の長澤和明。

>>
長澤まさみ作品一覧



長澤まさみ
経歴

第5回(2000年度)東宝「シンデレラ」オーディションに応募。

35,153人の中から史上最年少の12歳でグランプリに選ばれ、芸能界入り。同年公開の『クロスファイア』でスクリーンデビュー。

後年、本人は「シンデレラになったらすぐに有名女優になれるのかと思っていた」と語っている。その後ティーン雑誌『ピチレモン』の専属モデルとなる。

2002年にヤマザキナビスコのCMに出演。これが好評で長澤の名前をまだ知らない人向けに雑誌やテレビでは「ヤマザキナビスコのCMに出ている美少女」と表現されることが多かった。

2003年には『ロボコン』に出演。初主演作品でもあるこの作品は、やる気のない女子高専生が、ロボコン大会を通じて自立して行くと言う青春映画である。

この作品により、第27回日本アカデミー賞新人俳優賞等を受賞。本人はこの映画を通じて演技に目覚めたとの事で、今もなお最も好きな作品に挙げている。

同年公開のゴジラシリーズ第27作『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』、及び翌年のシリーズ最終作『ゴジラ FINAL WARS』では、同じ第5回東宝「シンデレラ」オーディションで審査員特別賞に選ばれた大塚ちひろと小美人役で共演し話題を呼んだ。

『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』のサウンドトラックCDには、大塚と2人で歌った『モスラの唄』が収録されている。

2004年には、社会現象となった興行収入85億円の大ヒット作『世界の中心で、愛をさけぶ』(以下セカチュー)にヒロインとして出演。白血病で逝く薄命の少女役を演じる。

なお、この作品により、第28回日本アカデミー賞最優秀助演女優賞(すべての部門中史上最年少)等多数の映画賞を受賞した。

また、役作りのために髪を剃り上げてスキンヘッドにした。

『セカチュー』と同時期に公開された松竹作品『深呼吸の必要』を経て、『タッチ』『ラフ ROUGH』に主演した。最新主演作『涙そうそう』は興行収入30億円を超えた。

2005年には各方面で話題を呼んだ『ドラゴン桜』に、2006年には大河ドラマ『功名が辻』に出演。同年秋には、かつて薬師丸ひろ子が主演して記録的大ヒットとなった映画『セーラー服と機関銃』のリメイクとなる連続ドラマに主演し、同名の主題歌を「星泉」名義で発表した。

2006年3月にはオリコンスタイルにて「今最も輝いている女優」ランキングで1位を獲得。また、映画雑誌『キネマ旬報』では「若手映画女優でトップに位置する」とも評された。
1952年からの歴史がある『東宝カレンダー』の表紙を、2005年から3年連続で飾っている。


長澤まさみ
人物・エピソード

人見知りをするため、大勢の人がいるところではあまり話さなくなる。

父・長澤和明は元サッカー日本代表MF。ジュビロ磐田初代監督としてJリーグ昇格に貢献し、のちにL・リーグの鈴与清水ラブリーレディース監督を務め、現在は常葉学園橘高サッカー部監督。

まさみ自身は小さい頃はサッカーが嫌いだったが、第84回全国高等学校サッカー選手権大会に初出場した常葉学園橘高のサッカー部員へミサンガを送った。

映画『世界の中心で、愛をさけぶ』の撮影が主に香川県で行われたため、2004年11月に「香川かがやき大使」に就任し、2005年8月から11月までJR山手線で車体広告電車が運行された。

山手線で運行されていた「キラキラ輝け!香川にタッチ。」皮膚が薄くしわが目立ちやすいと言われることがある。

しわに関して本人は、「笑うと奴らは至る所に出てくる」と自身のHPで語っているが、「チャームポイントの一つだと思っている」とも述べている。

自身のバストの大きさには以前から自覚がある模様で、『学研BOMB』2003年10月号のインタビュー記事で、「まぁ、お母さん譲りでおっきいほうかなぁ」と語っている。

理想の男性は、自分と目線が同じ位の人。これは価値観が似ていると言う意味ではなく、文字通り「同じ高さの身長」と言う意味。

綺麗な靴を履いて夜の公園を散歩するのが夢。坊主頭がいい。

また好きな異性のタイプは“ひげのある男性”と言っていたこともあるが、2006年夏の甲子園で全国を沸かせた斎藤佑樹投手がお気に入りらしく、新CMの告白は「ハンカチ王子を意識した」と話し、メディアを沸かせた。

現在は、[ルパン三世]の登場人物次元大介似が好みらしい。

東宝「シンデレラ」オーディションに応募したきっかけは、母親とその友人が優勝賞金100万円に惹かれたため。

父の教え子・中山雅史の夫人である生田智子(彼女も東宝所属)からも勧めがあったという。

なおグランプリを受賞した際、自身も賞金の使い道を色々と考えたが、母親が使い道を決めたため、本人は使っていない。

後に親孝行と考えたものの、「流石にがっかりした」と『メレンゲの気持ち』に出演した際に語っていた。

岩手県で開催された、オシャレな髪型を決めるコンテストで2006ベスト・ヘア賞(グランプリ)を獲得した際、「ナスビのへたをイメージした」という髪型で登場。

地元メディアから「岩手の人にメッセージを」とマイクを向けられた際、「ナスビヘアーを流行らせてください」と答えた。

2006年10月発売の雑誌『日経エンタテインメント!』でのインタビューにおいて、好きなアーティストはYUI、尾崎豊、スキマスイッチ、なお、『僕らの音楽』(フジテレビ、2006年12月8日放送)でスキマスイッチと対面し、古くからの曲も聴いている事を含め告白していた。

スキマスイッチの大ファンで、『ラフ ROUGH』のスキマスイッチ生ライブ付試写会では、シークレットゲストとして、登場。舞台袖裏で、このライブを聞いて感激。二人に会うなり、「大好きです!」を連発。

好きな映画は『タッチ』公開時に行われたムービーウォーカーのインタビューで『ジョゼと虎と魚たち』を挙げている。

目標の女優は松たか子であると語っている。

『やべっちFC』(テレビ朝日、2007年1月1日放送)で、中山雅史から小学校1,2年生の頃に求婚されたと語った。のちに中山は生田智子と結婚したが、長澤はかなりショックだったらしく「大人ってうそつき」と思ったという。

視力が悪いため、小学5年生の頃からコンタクトレンズを使用している。

2007年5月10日に東京都内で行なわれた「第4回コットンUSA賞授賞式」において長澤はミス部門に選ばれたが、その会場で、先日できちゃった結婚をした元モーニング娘。の辻希美・俳優の杉浦太陽について報道陣からコメントを求められた際、「結婚はタイミング。できちゃった結婚はまずいんですか?」とこたえる。

報道陣からの「(妊娠してから結婚というのは)順序が違うのでは」との質問には「人それぞれですよ。いいと思いますよ」と、恋愛・結婚・妊娠についての考えを語った。

山下智久は高校の先輩。長澤は、山下をとても信頼しており、雑誌のインタビューで、「ついてゆきます、アニキっ!」と語っていた。(雑誌『TVJapan』)

女優の鈴木杏と大の仲良し。高校で出会い、3年間ずっと同じクラスだった。長澤は「永遠の親友。家族より大切な存在です」と語っている。よく、一緒にお出かけしたり、ご飯を食べに行ったりするらしい。

小泉今日子と共演する事が多い。(映画『涙そうそう』ドラマ『セーラー服と機関銃』等)

倖田來未【タレント検索ちゃん】

倖田來未(こうだ くみ、本名・神田 來未子(こうだ くみこ)、1982年11月13日 - )は、日本の女性歌手。京都府出身。エイベックス・rhythmzone所属。身長154cm。
歌手のmisono(元・day after tomorrow)は実妹である。

>>倖田來未作品一覧

倖田來未来歴

倖田來未【2000年 デビュー】

ドリカムに憧れ芸能界入りを志す。

1999年、京都精華女子高等学校在学中にテレビ東京で放送していたオーディション番組「ASAYAN」内「モーニング娘。追加メンバーオーディション」において、後藤真希とその座を争ったが、先行して行われていたエイベックス(エイベックスエンタテインメント)主催のオーディション「avex dream 2000」にて準グランプリを受賞。

これにより同社でレッスンやトレーニングを無償受講できる権利、同社との専属契約権を獲得した。

2000年12月6日、エイベックスのrhythm zoneレーベルよりデビュー決定。

先にアメリカで「KODA」名義でデビューし、1枚目のシングル『TAKE BACK』は全米で先駆けて発売。

全米ビルボードダンスポップセールスチャートで初登場19位、最高18位を記録。更に2枚目のシングル『Trust Your Love』がビルボード総合セールスチャート初登場39位にランクイン、日本人のチャートインとしては7人目で、またダンスポップセールスチャートでは初登場1位を獲得した。

倖田來未【2000年-2002年 下積み・ヒットの出ない時代】

華々しく「凱旋デビュー」を飾る予定だったが、その目論見は外れ、オリコンチャートでは『TAKE BACK』が初登場59位、『Trust Your Love』が初登場18位でスマッシュヒットという結果に終わった。

さらに続く3枚目のシングル『COLOR OF SOUL』、4枚目のシングル『So Into You』でも、高い歌唱力と定評のあるダンス力で着実にファンを増やすものの、ヒットとはならなかった。

当時は音楽番組に出演しない路線をとり、専らクラブなどで歌っていた。

本人はその時を振り返り「辛かったけど夜中3時ごろに歌ったりして、声帯が強くなったり度胸が据わったりした。下積み時代に感謝している」と述べている。

倖田來未【2003年-2004年 ヒットによる浮き沈み】

そんな彼女に転機が訪れた。2003年にスクウェアソフト(現スクウェアエニックス)から発売された大作ゲームソフト「ファイナルファンタジーX-2」のテーマ曲で7枚目のシングル『real Emotion/1000の言葉』がオリコンチャート初登場3位で累計23万枚のヒットで知名が急上昇。

しかしその後の8枚目のシングル『COME WITH ME』や9枚目のシングル『Gentle Words』はセールスには余り恵まれなかった。

元来太りやすい体質であったが、当時の彼氏の励ましもあり8kgのダイエットに成功したのはこの頃で、現在の「エロカッコいい」とマスコミから呼ばれる彼女のスタイルが確立されたのは、10枚目のシングル『Crazy 4 U』(TVアニメギルガメッシュ主題歌、avex mode)の頃。

この頃から、クリスティーナ・アギレラなどの海外アーティストから大きな影響を受けるようになり、露出度の高い服装やPVなどがマスコミによって大きく話題にされた。

そして2004年、本人も友情出演した映画「キューティーハニー」の主題歌「キューティーハニー」を収録した11枚目のシングル『LOVE & HONEY』が久々のオリコンチャート初登場4位を記録。

13枚目のシングル『奇跡』(NHK2004~2006年サッカー中継テーマソング)もTOP10入りを果たし、徐々にマスコミによって大きく取り扱われるようになっていった。

しかし、この頃から初期の正統派路線が失われたことを嘆くファンも多く、コンサートでコンドームを客に投げつけるといった日本ではやりすぎの演出も指摘されている。

倖田來未【2004年-2005年 ブレイク、BEST~first things~】

2004年の末頃から人気音楽番組に出演するようになり、4枚目のアルバム『secret』がオリコンチャート初登場3位、累計50万枚のスマッシュヒット。

ライブやPVではバストや美脚を強調した露出度が高い服装や、バニーガール、女教師などのコスプレを披露し、その独特のスタイルが「エロカッコイイ」「エロかわいい」「エロカッコかわいい」と形容される。

2005年になって16枚目のシングル『Butterfly』が初登場2位と自己最高記録を更新。

その勢いに乗り5年間の集大成となるベストアルバム『BEST~first things~』を発売。

倖田は総合的に人を楽しませるエンターテイナーを目指しており、ベストアルバムの発売時に「ベストアルバムがミリオンセラーしたら、クラブのママをやります」と宣言した。
ベストアルバムの純売り上げ枚数はミリオンを記録、1日限定で銀座に「club 倖田」を開店。セールスは更に伸び続け累計は140万枚を記録した。この頃から、浜崎あゆみと肩を並べるエイベックスの稼ぎ頭となる。

倖田來未【2005年-2006年 12週連続リリース、BEST~second session~】

そんな中、彼女が取り組んだのが、同年12月7日から2006年2月22日まで、原則として毎週水曜日ごとに12週連続で新作シングルをリリースする世界初の試み"12週連続シングルリリース"である。

第一弾シングル『you』は、自身初のオリコンチャート初登場1位(初動7.2万枚)を記録。

続く『Birthday Eve』(5万枚限定生産)『D.D.D. feat. SOULHEAD』(5万枚限定生産)も好セールスを記録した。

同年12月31日、「Butterfly」で第47回日本レコード大賞を受賞、NHK紅白歌合戦にも初出場。

しかしレコード大賞受賞には、レコード大賞が掲げる『大衆に影響を与えた楽曲』という条件を満たしていないのではないか(「Butterfly」は最高2位・年間85位)という指摘があり、本人もレコード大賞終了後に「今年は露出で注目されたけど、来年はもっと音楽で注目されたい」と発言している。

2006年も年明け早々オリコンチャートで3楽曲同時Top10入りという2003年のB'z以来、そして女性アーティストでは初の快挙を成し遂げた。

同年3月8日に12週連続発売シングルを全て収録した(但し「Boys Girls」、「Sweet Kiss」は未収録)ベストアルバム『BEST~second session~』を発売する。

倖田來未【2006年- Black Cherryの発売、そして現状】

その後も『恋のつぼみ』『4 hot wave』などタイアップ色の強いCDリリースや初の写真集「MAROC」の発売、そして12月には5枚目のオリジナルアルバム『Black Cherry』を発売。
勝負作として150万枚を初回出荷したこの作品は、初動売上枚数50.2万枚(オリコン)を記録した。これは、2006年発売の女性アーティストのオリジナル盤としては最高となっている。

同年12月16日には第39回日本有線大賞、12月30日には、日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。

2005年に続いてのレコード大賞V2は達成できなかったものの、2005年は衣装などで注目されたが2006年は「歌唱」の分野での受賞なため、倖田は受賞時にその旨語り涙して喜んだ。

ただし、初期のファンは既に離れつつあり、リリースラッシュによる楽曲そのものの低下や過剰なエロ路線への方向転換により、「決して売れないけれども作りこまれた音楽」であった最初期を好むものは既に現在の体制に対しては厳しい意見を述べるものも多い。

こういったブレイク前のファンとブレイク後のファンとの間で見解に食い違いが生じているのが現状である。

また、ベストアルバムのようなアルバムをほぼ半年に1回という驚異的なペースでリリースし続けたことから、音楽ファンからは「商業主義的」として忌み嫌われる傾向もある。
倖田來未豆知識

3歳頃より、尺八を教えていた祖父と琴を教えていた母親の勧めで、日本舞踊の演者として初舞台を踏んでいる。

プロ野球・阪神タイガースの赤松真人外野手は藤森中学校時代の同級生。

とんねるずの大ファン。元々母親がとんねるずのファンだったことに影響されたという。
「うたばん」(TBS)に出演するといつも石橋貴明と、「とんねるずのみなさんのおかげです」(フジテレビ)の懐かしのギャグで盛り上がるほどである。

また「とんねるずのみなさんのおかげでした」(フジテレビ)内の「新・食わず嫌い王決定戦」に出演し石田純一と対決した際には「10年間イメトレを重ねてきました」とも発言している(が、結果は「ゴルゴンゾーラのピザ」を一発で石田に当てられ敗北。罰ゲームとして「キューティーハニー」をア・カペラで歌わされた)。

敬愛しているアーティストはDREAMS COME TRUEと岡本真夜。歌手を目指すきっかけは中学時代にDREAMS COME TRUEのライブを見たことで、エイベックスのオーディションで歌った曲は岡本真夜の「Alone」だという。

2005年のNHK紅白歌合戦のリハーサルでは、ノーブラ衣装でのステージを宣言したが、むしろ紅白歌合戦に先立つ日本レコード大賞ステージでの衣装がマスコミから大きく注目を集めた。

豊満な胸を強調するファッションは衝撃的としてマスコミから報道された。

2005年12月から12週間連続でシングルをリリースしているが、5万枚限定リリースである9枚は発売前から予約が殺到し、500円だったシングルがオークションで価格の数十倍にまで膨れ上がるなど、入手困難な状態になっていた。

12週連続リリース作品の全ての裏ジャケットを並べると1つの絵が出来上がるようになっている。また背帯にも、リリース順に並べてもひとつの絵が出来上がる。

ミュージックステーションスーパーライブにパンツをはかずに出演した事がある。

PVやCDジャケットでは、クリスティーナ・アギレラを中心にビヨンセ、ブリトニー・スピアーズなど海外アーティストの作品の衣装や構図を模倣しているともいわれることもある。

またクリスティーナ・アギレラのステージ衣装のカラーデザインを変えたものを着ているときもあった。

倖田自身は「アギ(クリスティーナ・アギレラ)のような強い女性に憧れる」「私も少しアメリカで売れたから、PVも恥ずかしいことはしたくない。海外を意識している」と偶然の一致ではないとする発言をしている。

DJ OZMAのホームパーティーで森山直太朗・神奈月と知り合いになった。

テレビ欄では「倖田来未」である。(來は常用漢字外。)

2007年4月26日、安倍内閣メールマガジンに登場し、小中学生時代に受けたいじめ体験を告白。

政府インターネットテレビにていじめ撲滅を訴える動画を配信した。

夏川純【タレント検索ちゃん】

夏川純(なつかわ じゅん、1980年9月19日 - )は、広島県出身の女性アイドル、タレント。本名非公開。所属芸能事務所はオスカープロモーション(1999年~)⇒アーティストハウス・ピラミッド(2003年~)。

>>夏川純作品一覧

夏川純来歴

1999年、「週刊ヤングジャンプ」グラビアにて芸能界デビュー(当時は本名での活動)。
2003年に所属事務所を移籍し芸名を「夏川純」として再デビュー。写真集『believe』が初作品。

2004年、テレ朝エンジェルアイ2004の一員として選ばれる。
レイクのCMで注目を集める。

2006年KYOURAKUイメージガール「ミス・サプライズ」。

夏川純人物

高校時代は不動産屋でアルバイトしたりと、変わったバイトをするのが好きだったとの事。なお、高校卒業後のバイト先はカラオケボックスだった。

雑誌に載っていたファンレターの宛先に履歴書を送り、デビューしたという逸話がある(本人談)。

腹筋が割れているのが自慢らしい。『行列の出来る法律相談所』(2006年5月21日放送分、日本テレビ系)にて石田純一や長州小力に触らせているほど。腹筋運動は1日100回を欠かさず行うとの事。

ただグラビア撮影において割れている腹筋は好ましくないとして事務所から腹筋を控える様に言われており、最近では週1~2日に控えているとトーク番組で語っていた。

自分のことを「究極のドM」と語っている。交際する男性に支配される事が好きらしく、「お前」と呼んで欲しいとか。またその男性に「携帯電話の自分以外の男性の(電話)番号を消せ」と言われれば、喜んで削除するという。

家族構成は、両親と姉の4人。

好みの男性のタイプはマッチョ(ガッチリした)な人(ちなみに「恋するハニカミ」でデート相手に、新日本プロレスの中邑真輔が来た時は、かなり喜んでた)。

『ネプリーグ』(フジテレビ系)出演時は、「ファイブツアーズ」で「漢字とくーい」と大声でアピールするのが恒例。

横浜ベイスターズのファンで、好きな選手は三浦大輔投手。

2006年6月29日の対巨人戦(横浜スタジアム)で、『BLOG@GIRLS』の番組宣伝を兼ねて始球式を務めた際、その三浦にピッチングの指導をしてもらった。その結果「今までキャッチボールすらやったことがない」(本人談)ほど野球に関して素人だった彼女が、ノーバウンドでキャッチャーミットに投球することが出来た。次の始球式の依頼を心待ちにし「いつ依頼が来てもいいよう密かに練習します」とのこと。

なおその試合では主催の横浜が勝ち、その後も連勝が6まで伸びたことで、ハマの女神と呼ばれた。

「夏川 純」という名前が芸名であることを自らテレビ番組などで述べているが、本名は非公開。しかし、アッコにおまかせ!で本名が記載された新聞記事を生放送で紹介されたため、視聴者や新聞の読者に本名が公開されてしまった。

BoAの大ファン(BoA行き着けの店に待ち伏せするほど)。

写真週刊誌にカリスマ美容師との熱愛を報じられた。本人は否定している。

アイロンが得意。不得意な母に乗せられ上達。

夏川純年齢詐称騒動

当初生年月日を1983年9月19日として芸能活動を行っていたが、2006年に「週刊現代」誌上にて生年を偽っているという記事が掲載され、その後2007年2月26日付の「東京スポーツ」(同日付の大阪スポーツ、中京スポーツと2月27日付の九州スポーツも)においても生年を偽っていると1面で大きく報じられた。

同年3月11日に準レギュラーを務めるアッコにおまかせ!の中で、5歳年上の姉がおりその姉と間違えたのではと弁解し疑惑を否定した。

しかし同年3月22日に自身のBlog記事内で1980年生まれであると公表し、同日には事務所のWebサイト内にあるプロフィールも生年が昭和55年へと修正された。

また、マスコミ各社へも同様の趣旨の内容がFAXで送られた。

年齢を詐称した理由としては、事務所を移籍した際に10代からの支持を得るための営業戦略であったとしている (1983年生まれの19歳としてデビューした)。

この問題は3月23日のJ-WAVE「Jam the WORLD」でも『あなたは年齢、サバ読んだ事がありますか?』として採り上げられた。

年齢詐称を発表した約2週間後の2007年4月5日、ボストン・レッドソックスの松坂大輔投手が初先発初勝利を挙げた。この件に関して夏川は新聞等に同い年としてコメントを送り報道されている。

ちなみにこの騒動の後、バラエティ番組ではこのことがしばしばネタにされるようになった。

KAT-TUN【タレント検索ちゃん】

KAT-TUN(カトゥーン)は、ジャニーズ事務所に所属する日本の6人組男性アイドルグループ。レコード会社はJ Storm内のKAT-TUNのCDデビューに合わせKAT-TUNの為に作ったレーベルJ-One Recordsに所属。2001年4月7日結成。

>>KAT-TUN作品一覧

KAT-TUNグループ名

グループ名は彼らの名字の頭文字をつなげたもの。 また『勝つ運』という意味が込められている。 そして「cartoon」(漫画)という意味もある。

由来は「漫画のように、1ページ読むとまた次のページが読みたくなる」という意味を照らし合わせた意味である。

KAT-TUNを知らない高齢層からは「カッツン」「カツーン」「カットターン」とも呼ばれる。

KAT-TUNメンバー

※先頭のアルファベットは、名字の頭文字。

K 亀梨和也(かめなし かずや、1986年2月23日)
A 赤西仁(あかにし じん、1984年7月4日)
T 田口淳之介(たぐち じゅんのすけ、1985年11月29日)
T 田中聖(たなか こうき、1985年11月5日)
U 上田竜也(うえだ たつや、1983年10月4日)
N 中丸雄一(なかまる ゆういち、1983年9月4日)

KAT-TUN来歴

【2001年】

3月16日、NHK『ポップジャム』の司会を当時務めていた堂本光一の専属バックユニットとして社長ジャニー喜多川の鶴の一声で結成された。そのため正式な結成日はあいまいであるが、4月7日という説が濃厚である。

【2002年】

ミュージックステーションにジャニーズの先輩のバックで出演する事は何度かあったが、8月KAT-TUNとして初の単独出演した。

8月10日-11日、「お客様は神サマー Concert 55万人愛のリクエストに応えて!!」と題し、東京国際フォーラムにて初の単独コンサートを開催。

タイトルの通り、当初4公演2万人で行なわれるコンサートに、55万人の人からチケットの申し込みがあった。

それに伴い2公演を追加、2日間計6公演行われた。また8月26日-28日、大阪松竹座にてコンサートを開催。3日間で20公演行われ2日目には1日11回の公演を行い、同事務所の先輩であるTOKIOとV6が持っていた1日10回の日本記録を塗り替えた。

【2003年】

2月26日にはファーストコンサート(お客様は神サマー Concert 55万人愛のリクエストに応えて!!)の模様を収めたDVDが発売され、CDデビュー前のアーティストとしては初の、オリコンDVD・VHS・総合チャート1位の三冠を獲得。

8月8日-28日、コンサートツアー「Ko年モ Ah Taiヘン Thank U Natsu」を、東京・名古屋・大阪にて全10公演を開催。14万人を動員。

8月12日-20日、フジテレビジョン開局45周年記念イベント「お台場冒険王」企画の一環で「KAT-TUNの大冒険de SHOW」と題したイベントを、お台場にあるホテル・グランパシフィックメリディアン パレロワイヤルにて開催。全20公演で3万人を動員。

【2004年】

1月、帝国劇場で行われた滝沢秀明(タッキー&翼)主演の舞台「DREAM BOY」に出演。又、同公演中に亀梨和也が主役として出演した「KAT-TUN&関ジャニ∞編」が開催。

3月、ザ少年倶楽部で初司会を担当。

8月にジャニーズ事務所の歴史を紐解くエンターテイメントショー「SUMMARY of Johnnys World」が原宿ビックトップで開催され、グループのNEWSと対決するという演出で共演した。全35公演で12万3千人を動員。総制作費は12億円と言われている。

12月28日-2005年1月5日、コンサートツアー「KAT-TUN Live 海賊帆(かいぞくばん)」を、名古屋、横浜、大阪にて開催。全14公演。動員数20万人。演出、衣装、舞台セットなど初のセルフプロデュース。1月5日2部、横浜公演ラストの回に、KAT-TUNとして100公演目を達成。観客動員数は延べ55万人を達成した。

【2005年】

3月25日-6月26日、コンサートツアー「Looking KAT-TUN 2005」を開催。(全国5都市)

4月20日、DVD「SUMMARY of Johnnys World」を発売。オリコンDVD総合部門初登場1位。

5月3日、DVD「KAT-TUN Live 海賊帆」を発売。オリコンDVD総合部門発登場1位。この頃はまだデビューもしていなく、発売一週間の売り上げ(初動売り上げ)は、12.9万枚。歴代音楽DVDの中ではB'zの16.7万枚、13.1万枚に次ぐ史上3番目の記録。

6月4日、「COUNT DOWN TV」2005年5月度CDTVアワード受賞。

8月26日-8月28日、「Looking KAT-TUN 2005」横浜アリーナ再追加公演。

11月15日-11月27日、「FIVB ワールドグランプリチャンピオンズカップ2005」男女バレーボール大会、応援プロデューサー。

12月31日~Johnnys' Countdown 2005-2006~見なきゃソンSONG「PRIDEかけてジャニーズ歌合戦」at TOKYO DOME since 1998(東京ドーム)

【2006年】

1月3日-1月29日、「Dream boys KAT-TUN vs 関ジャニ∞」7万人を動員。(東京・帝国劇場)

3月17日、「KAT-TUN SPECIAL TOKYO DOME CONCERT Debut "Real Face"」CDデビュー前のアーティストによる東京ドームでの単独ライブは史上初。(東京ドーム)

3月22日、J Storm内のKAT-TUNのために立ち上げられた新レーベル、J-One Recordsからシングル、アルバム、DVDのトリプルデビュー。シングル「Real Face」は作詞:スガシカオ、作曲:松本孝弘が手がけた。

3月28日-5月14日、「Spring Tour '06 Live of KAT-TUN "RealFace"」63万人を動員。(全国9都市、43公演)
デビューシングル、アルバム、DVDがそれぞれオリコンチャート1位を獲得。加えて有線リクエスト、着うたダウンロードも1位を獲得し5冠を達成。

4月、デビューシングル「Real Face」がミリオン達成。

6月28日、DVD「DREAM BOYS」を発売。初登場1位を獲得。

7月19日2ndシングル「SIGNAL」を発売。初登場1位を獲得。デビューから2作品連続で初登場1位を記録したのは史上7組目。

8月26日-8月27日、「24時間テレビ29 愛は地球を救う~絆~」メインパーソナリティ。

12月26日、「第39回オリコン年間ランキング2006」年間シングル部門、売り上げ第1位『Real face』

12月31日、「Johnnys' Countdown 2006-2007」(東京ドーム)

【2007年】

4月3日-6月17日、「TOUR 2007 cartoon KAT-TUN Ⅱ You」(全国7都市28公演)

4月4日-初の冠番組「カートゥンKAT-TUN」がスタート。

6月6日-4thシングル「喜びの歌」を発売。赤西復帰後、初の6人揃ったシングルとなった。

EXILE【タレント検索ちゃん】

EXILEエグザイル)は、日本の音楽(J-POP、R&B)とダンスパフォーマンスの融合を目指した7人組のヴォーカル&ダンスユニットである。所属事務所はメンバーのHIROが社長を務める株式会社LDH。所属レコード会社はavex(レーベルはrhythmzone)。台湾や中国では「放浪兄弟」の名義となっている。

>>EXILE作品一覧

EXILE略歴

【 第一章】
1991年、ダンスグループ「ZOO」のメンバーだったHIRO、BOBBYでダンスグループ「JAPANESE SOUL BROTHERS」を結成。その後「BABY NAIL」等で活動していたMATSU、USA、MAKIDAI、RYUZY、NORIが加入。この時点ではヴォーカルはいない。

1999年、HIROを中心にパフォーマーMATSU、USA、MAKIDAI、ヴォーカルSASAの5人で「J Soul Brothers」を結成。

2001年8月24日、前ヴォーカルSASAの脱退、ヴォーカルATSUSHIとSHUNの新加入を経て、「EXILE」と改名。

2001年9月27日、デビューシングル『Your eyes only~曖昧なぼくの輪郭~』を発売。オリコン最高4位、累計25.0万枚を記録。この楽曲はEXILEのために書き下ろされたものではないが、諸事情によりEXILEが担当することになる。月9ドラマの「できちゃった結婚」の挿入歌として流れていた。

2001年、12月14日、「第34回日本有線大賞」有線音楽賞受賞。

2003年2月13日、2枚目のアルバム『Styles Of Beyond』を発売。自身初のオリコンチャート1位を獲得する。

2003年5月28日、8枚目のシングル『Breezin'~Together~』を発売。36.7万枚をセールス、オリコン最高2位を記録。

2003年11月6日、ZOOの1991年のヒット曲『Choo Choo TRAIN』をカバー、リリースしリバイバルヒット。この曲が含まれた3枚目のアルバム『EXILE ENTERTAINMENT』がミリオンセラーとなり、同曲で紅白歌合戦に初出場。

2004年からはソロプロジェクトも展開しており、トーク、恋愛、お笑い番組にも出演している。

2004年、2005年と2年連続で「ベストヒット歌謡祭」にてポップスグランプリを受賞。

2004年6月30日、15枚目のシングル『real world』を発売。自身初のオリコンシングルチャート1位を記録。

2004年にミュージカル「HEART of GOLD~STREET FUTURE OPERA BEAT POPS~」の企画段階から携わり、主演した。

2004年12月18日、「第37回日本有線大賞」最多リクエスト歌手賞受賞。

2005年7月20日、GLAYとのコラボレーションにより、GLAY×EXILE名義で『SCREAM』を発売。オリコン1位を獲得、同年の年間シングルセールスチャートでも5位を獲得。

2005年12月14日、19枚目のシングル『ただ…逢いたくて』を発売。auのキャンペーンソングで、『real world』以来1年5ヶ月ぶり2作目のオリコンシングルチャート1位を獲得、自身最大の56.2万枚をセールス。年間シングルセールスチャート第6位。なおこの曲はSHUNがEXILEにいる間に作詞した最後の曲でもある。

2005年12月31日、初のカウントダウンライブ「COUNTDOWN LIVE 2005-2006」を開催。幕張メッセの模様は札幌、仙台、名古屋、大阪、福岡の全国5箇所の会場に衛星生中継により配信された。

2006年3月1日、20枚目のシングル『YES!』を発売。アルバム『ASIA』からの先行シングルでありながら、『ただ・・・逢いたくて』に引き続き2作連続通算3作目のオリコン1位を獲得。 SHUNを加えた6人では最後のシングルとなった。

2006年3月29日、ヴォーカルのSHUNが脱退。SHUNは、長渕剛のように男くささや人間くささを歌うことを望んでいたため、ダンスミュージックのEXILEの歌とは隔たりがあったことが脱退の原因。SHUNは脱退後、本名の清木場俊介名義でソロ活動を続けている(事務所は変わらず)。

2006年3月29日、4枚目のアルバム『ASIA』とライブDVD『EXILE@LIVE TOUR 2005 PERFECT LIVE~ASIA~』の発売をもって、EXILEの第一章は完結した。

2006年4月21日、ファンからの要望のため「ミュージックステーション」にて6人が一夜限りの再結集、事実上のラストライブを行い、「YES!」と「Your eyes only~曖昧なぼくの輪郭~」を披露。

【第二章】

2006年6月、5人目のパフォーマーとしてRATHER UNIQUEのダンサーAKIRAを加えた。

2006年9月22日、参加者約1万人に及んだオーディション「EXILE Vocal Battle Audition
2006~ASIAN DREAM~」を制したTAKAHIRO(オーディションには本名「田敬浩」で出場)が新ヴォーカリストとして加入。7人組ユニットとなる。

2006年11月22日、長年交流のあった倖田來未とコラボレーションし、『WON'T BE LONG』をEXILE&倖田來未名義で発売。着うたが100万ダウンロードを達成。

第二章開幕後12月6日、21枚目のシングル『Everything』、1月17日に『Lovers Again』と、2ヶ月連続でシングルをリリース、活動を本格的に再始動させた。

2007年2月14日、23枚目のシングル『道』を発売。2007年2月26日付オリコン週間シングルチャートにてオリコン史上1000曲目の1位となった。

2007年3月1日、TAKAHIROの母校、長崎県立佐世保東翔高等学校の卒業式にてサプライズライブ。

2007年5月、HIROを除くパフォーマー4人が「劇団EXILES」を結成、舞台進出(HIROはゼネラルプロデューサーに就任)。同年9月20日より東京ステラボールにて25公演を行う予定。

EXILE人物・その他

ほぼすべてのアルバムにインストが収録され、それらはライブでパフォーマーがダンスする際に用いられることが多い。

シングル曲、アルバム収録曲に関わらず多くの楽曲がタイアップされている。
初期はR&Bテイストの楽曲を多く取り入れていたが、2003年頃から「Together」、「EXIT」のような「エグキャッチー」と称したポップス路線が主流となっている。

メンバーは酒豪であるが、非喫煙者。

脱退したSHUNも含めた初期メンバーの6人全員が50万円ずつ出資し有限会社エグザイルエンターテイメント(現:株式会社LDH)を立ち上げた。メンバー全員が社員である。

ゲストで参加したテレビ番組でマネージャーを募集することが度々あった。

第二章開幕後、「エグキャッチー」に加え、「Lovers Again」や「彼方から此処へ」のようなミディアム系統の曲を「エグセツナ」と称すようになる。

メンバー間の年齢差が大きく、最年長のHIROと最年少のTAKAHIROでは15歳離れている。

アルバムは半ベスト状態であり、アルバム未収録曲はリミックスを除いては6thシングル『EX-STYLE~Kiss You~』収録の「Blade」「across」、『EPISODE I』収録の「Self Belief」のみである。

グループからの派生ユニットが多く、後述の「EXILES」に加え「EXLIE VOCALIST BATTLE AUDITION 2006」出身者5名で構成された「Dreamers」、同オーディション出身者の「JONTE」、EXILEの前身「J Soul Brothers」の名を継いだ同名のグループが存在する。

EXILEメンバー

【ヴォーカル】

★ATSUSHI(アツシ、本名:佐藤篤志(さとう あつし)、埼玉県越谷市、1980年4月30日 - 血液型:A、身長175cm、体重67kg)

4歳より高校卒業時までクラシックピアノを習うが、高校在学中に組んだバンドがきっかけでヴォーカリストを志すようになる。

高校卒業後、専門学校でヴォーカリストとしての技術を磨き、2000年にテレビ番組「ASAYAN」の男子ヴォーカリストオーディションで最終選考まで残ったが、落選。このとき頂点に立った2人は「CHEMISTRY」としてデビューした。

オーディション落選後、渋谷のクラブなどで歌う生活を送っている最中にデビューの話が舞い込み、2001年にSHUNと共にEXILEの前身「J Soul Brothers」へ加入した。なお、誘われた当時は「J Soul Brothers」同様、1ヴォーカル・4パフォーマーとなる予定であった。

2004年12月、EXILEでの活動と並行して、4人組コーラスグループ「COLOR」を結成(2006年12月にメンバーチェンジし自身は脱退、プロデュースに専念)。

また、2006年3月11日放送の「恋のから騒ぎ」(日本テレビ)に初めて一人で出演するなど、多彩な活動をしている。

坊主頭にサングラスがトレードマーク(デビュー時~2003年5月頃までは坊主頭ではなかった)。ATSUSHIが好んで着用しているサングラスはイタリアのブランド「police」のS2819であり、色違いで何本も所有している。ATSUSHI×policeのコラボサングラスも発売された。

2006年、Boyz II Menのアルバム『The Remedy』の日本版ボーナストラックに参加。

ポリープを患い、SHUN脱退後から第二章開幕の間に手術を受けた。

立ち位置は正面から見て右。


★TAKAHIRO(タカヒロ、本名:田敬浩(たさき たかひろ)、長崎県佐世保市 、1984年12月8日 - 血液型:O、身長180cm、体重63kg)

沖縄空手を12年やり(日本武道館の全国大会に団体戦で出場した経験有、結果は5位)、

美容室「MINX」で見習いをしていた時期もある。

特技は空手、書道(八段)、絵画と多彩。演歌を好み、よく演歌を聴きながら晩酌すると述べている。

SHUNの脱退に伴うオーディション「EXILE Vocal Battle Audition 2006~ASIAN DREAM~」に東京会場から参加して勝ち上がり、2006年9月22日、日本武道館における最終審査を
制し新ヴォーカリストとしてEXILEに加入した。

なお、同年7月10日放送の日本テレビのオーディション番組「歌スタ!!」ではメインコーナーである「廻る!運命のうたちだい」でEXILEの「運命のヒト」を歌って合格し、作曲家林哲司から曲の提供を受けメジャーデビューすることになっていたが、その後林のHPにて、経緯の詳細は伏せられているが曲提供の件が破談になったと発表されている。

また、同年8月3日よりミュージカル「テニスの王子様」にも海堂薫役として出演する予定となっており、公式HP上及び関連誌上でもコメント掲載などが行われていたが、7月24日に急遽「体調不良」を理由に降板を発表し、7月30日、「EXILE Vocal Battle Audition 2006」 の一次予選東京会場に参戦した。

ちなみに「歌スタ!!」でのメジャーデビュー辞退などに関しては「歌手になりたい、というより、EXILEになりたかった」とコメントしているが、ミュージカル「テニスの王子様」に関しては何もコメントしていない。

立ち位置は正面から見て左(元メンバーSHUNと同じ位置)。

【パフォーマー】

★HIRO(ヒロ、本名:五十嵐広行(いがらし ひろゆき)、神奈川県横浜市(生まれは広島)、1969年6月1日 - 血液型:AB、身長174cm、体重63kg)

パフォーマー兼リーダーで、所属事務所LDHの社長。元ZOOのメンバー。ZOO解散後の1996年には「LUV DELUXE」を結成したが間もなく解散。1995年~1996年にはDREAMS COME TRUEのコンサートツアーにバックダンサーとして参加していた。デビュー前の倖田來未のダンス講師でもある。

★MATSU(マツ、本名:松本利夫(まつもと としお)、神奈川県川崎市、1975年5月27日 - 血液型:O、身長170cm、体重58kg)

1996年、ダンスチーム「BABY NAIL」結成。1998年、「JAPANESE SOUL BROTHERS」加入後「J Soul Brothers」のメンバーとなる。

2005年、東京・中目黒にブランドショップLMDを立ち上げ、デザイナーを兼務。4枚目のアルバム『ASIA』に収録されている「Why oh why…?」では初の作詞を手がける。

2007年1月5日深夜(翌6日)にフジテレビで放送された「EXILE~6年目の真実」の番組内で難病指定を受けている不全型ベーチェット病に侵されていることを告白し、左目の視力をほとんど失っていることを明らかにした。

★USA(ウサ、本名:宇佐美吉啓(うさみ よしひろ)、神奈川県横浜市、1977年2月2日 - 血液型:AB、身長177cm、体重65kg)

「BABY NAIL」加入後、「JAPANESE SOUL BROTHERS」加入。「J Soul Brothers」のメンバーとなる。

EXILEでの活動と並行して、2005年にはメンバーであるMAKIDAIと共に、ラップグループ「RATHER UNIQUE」を結成し、MCを務める。

父親がEXILEのアルバムのCMに出演、EXILEとともに歌番組に登場している。桜塚やっくんの同級生であり、スピードワゴンの井戸田潤はアルバイト先の先輩でもある(2006年12月4日放送「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」より)。

★MAKIDAI(マキダイ、本名:眞木大輔(まき だいすけ)、神奈川県横浜市、1975年10月27日 - 血液型:O、身長180cm、体重65kg)

1996年、MATSUと共に「BABY NAIL」を結成、アメリカのニューヨークへ留学しダンスの修養を積む。MISIAのバックダンサーを勤め、1998年、ダンスチーム「Hip Hop Junkeez」を結成。

1999年、「J Soul Brothers」に加入し現在に至る。

2004年には本名でドラマ「ホットマン2」に俳優として出演し、2007年3月公開の映画「渋谷区円山町」で主演を務める。

2月23日には同映画のメイキングDVDである『渋谷区をもっと好きになる。featuring.眞木大輔』が発売される。

また、2005年にはメンバーであるUSAと共に、RATHER UNIQUEを結成し、MCを務める。現在では「サルヂエ」・「恋するハニカミ!」・「脳内エステ IQサプリ」・「クイズ!ヘキサゴンII」などのバラエティ番組に本名で時々出演している。

クラブDJとしての顔も持ち、MIX CDを発売した。同音異字であるナレーターの槇大輔とは全くの無関係。J-WAVEのラジオ番組「OH!MY レディオ」の月曜日担当を務める。メンバーの中でもっともソロ活動が多い。

★AKIRA(アキラ、本名:黒澤良平(くろさわ りょうへい)、静岡県磐田市、1981年8月23日 - 血液型:A、身長184cm、体重74kg)

RATHER UNIQUEの元メンバー(USAとMAKIDAIとは違い、パフォーマーとして務めていた。当時の芸名が、ネスミス・アキラザ・カリムという外国人の設定である)。第二章開幕にあたり2006年6月、メンバーに誘われEXILEに加入する。本名ではなく「AKIRA」となったのは「クロサワといえばアキラ(黒澤明)」と言われたため。

他メンバーの立ち位置は変わらず、AKIRAはヴォーカル二人の間(センター)がポジションとなる。

【元メンバー】

★SHUN(シュン、本名:清木場俊介(きよきば しゅんすけ)、山口県宇部市、1980年1月11日 - 血液型:O、身長173cm、体重63kg)

中学生の頃から地元である山口でバンド活動、ギターの弾き語りを行う。

20歳頃に建設関連の会社を設立。そんな中でATSUSHI同様「ASAYAN」の男子ヴォーカリストオーディションを受け、第3次審査まで進むも落選。その後地元テレビ局のボーカルオーディションを受け優勝。その時avex社員に才能を見出されデビューに至る。

2005年1月、本名でソロデビュー。EXILEのSHUNとは異なり、ロック路線へ転向している。
シングル曲、アルバム曲問わずEXILEの楽曲の作詞を多数手がける。

2006年3月29日付でEXILEを脱退。脱退後はソロ活動に専念。ソロ活動の詳細は「清木場俊介」へ。

大塚愛【タレント検索ちゃん】

大塚愛(おおつか あい、本名同じ、1982年9月9日 - )は、日本のシンガーソングライター、女優、イラストレーター、絵本作家。所属レコード会社はエイベックス及び所属プロダクションはエイベックス・エンタテインメント。

愛称は「愛ちん」。キャッチフレーズは「“愛”といえば大塚です」。作詞・作曲のクレジットは「愛」。なお、正確には「大塚 愛」と、姓と名の間に半角スペースを入れる。各種クレジットや雑誌ではそのようになっている。

>>大塚愛作品一覧

大塚愛来歴

【デビュー前】

もともとは学生時代の友人である西田真美とデュオ「HimawaRi」というグループで活動していた。

ヒット曲「さくらんぼ」はその時代に既に完成しており、かつてはデュオによる歌唱がインターネット上で無償で公開されていたこともあった。

4才からピアノレッスンを始めており、また、「さくらんぼ」だけではなく、リリースされた楽曲の多くをデビュー前(高校時代あたり)には作っている。

2002年、avexに送った自作のデモテープ(「大好きだよ。」「甘えんぼ」収録)が審査員の目にとまったことがデビューのきっかけとなり、翌2003年9月10日にシングル「桃ノ花ビラ」でデビュー。

【2003年】

5月16日 - 大阪から上京。

9月10日 - 『桃ノ花ビラ』でデビュー。

12月17日 - 同日発売の2ndシングル『さくらんぼ』がバラエティ番組「めちゃ2イケてるッ!」「COUNT DOWN TV」のタイアップに使われるとともに、オリコン週間チャート初登場20位だったが、その後最高位5位まで上昇。

『さくらんぼ』は2004年7月19日、「着うた」史上初の100万ダウンロードを達成した楽曲となった。東芝製のau向けCDMA 1X WIN対応携帯電話「W31T」(2007年現在生産終了)にはこの楽曲が「着うたフル」としてプリインストールされていた。

【2004年】

3月3日 - シングル『甘えんぼ』を発売。「さくらんぼ」と同時TOP10入りを果たし、話題となった。

3月12日 - 「MUSIC STATION」(テレビ朝日)にてテレビ初出演。「甘えんぼ」を披露。
3月31日 - 1stアルバム『LOVE PUNCH』を発売。オリコン週間チャート初登場3位を記録。
7月 - 森永「Ice Box」でCM初出演。

7月7日 - シングル『Happy Days』を発売。

8月18日 - シングル『金魚花火』を発売。

10月20日 - シングル『大好きだよ。』を発売。

11月17日 - 前作からわずか8ヶ月で2ndアルバム『LOVE JAM』を発売。11月29日付のオリコン週間チャートで初登場1位を獲得。

11月~12月 - 『さくらんぼ』でベストヒット歌謡祭最優秀新人賞と日本有線大賞最優秀新人賞と日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞し、新人賞レースを独占。

12月31日 - NHK紅白歌合戦に初出場。『さくらんぼ』を歌う。紅白など年末歌番組の出演効果により、2005年初頭にはシングル『さくらんぼ』や1stアルバム『LOVE PUNCH』がチャートの上位に再浮上

【2005年】

2月9日 - 『LOVE JAM』からのリカットシングル『黒毛和牛上塩タン焼680円』を発売。

3月1日 - 初のフォト・ラブストーリーエッセイ『キミイロオモイ』を発売。

3月16日発売 - NANAのトリビュートアルバム『LOVE for NANA~Only 1 Tribute~』に『Cherish』で参加。

4月 - 「ライオン」の看板商品「植物物語」と「Ban」のコマーシャルに出演。

4月 - オフィシャルモバイルファンクラブ「LOVE9CUBE」(ラブ・キューブ)が発足。

4月28日~6月1日 - 初の全国ホールツアー「JAM PUNCH Tour 2005~コンドルのパンツが食いコンドル~」を敢行。

5月11日 - 初の両A面シングル『SMILY/ビー玉』を発売。5月23日付のオリコン週間チャートで初登場1位を獲得。

6月22日 - DVDドラマ『東京フレンズ』へ出演(翌2006年8月には映画化)するなど、女優業といった新たな分野にも挑戦。

7月13日 - シングル『ネコに風船』を発売。

7月27日 - 初のライブDVD『JAM PUNCH TOUR 2005~コンドルのパンツがくいコンドル~at Tokyo International Forum Hall A on 1st of June 2005』を発売。オリコン音楽DVD週間チャート初登場1位。

9月21日 - シングル『プラネタリウム』を発売。オリコン週間チャート初登場1位を獲得。
12月14日 - アルバム『LOVE COOK』を発売。オリコン週間チャート初登場1位を獲得。

12月31日 - 『プラネタリウム』で、日本レコード大賞金賞受賞。

12月31日 - 紅白歌合戦に『プラネタリウム』で2年連続2回目の出場。

【2006年】

4月1日~5月9日 - アリーナ・ホール全国ツアー「LOVE COOK Tour 2006~マスカラ毎日つけてマスカラ~」を敢行。

4月12日 - シングル『フレンジャー』を発売。

7月26日 - 同日発売の鈴木亜美のシングル『Like a Love?』を作曲し(作詞は亜美)、初めて自分以外の歌手の楽曲を手がける。

同日 - ライブDVD『LOVE COOK Tour 2006 ~マスカラ毎日つけてマスカラ~at Osaka-Jo Hall on 9th of May 2006』を発売。

8月2日 - シングル『ユメクイ』を発売。

8月12日 - 全国松竹系で初主演映画「東京フレンズ The Movie」が公開(主題歌『ユメクイ』も本人が担当)。

9月9日 - 24歳の誕生日・デビュー3周年を記念して、日比谷野外音楽堂にて1夜限りのライブ「【LOVE IS BORN】~3rd Anniversary~」を行う。

9月10日 - デビュー3周年を記念して、オフィシャルモバイルファンクラブ「LOVE9CUBE」で、「BABASHIのテーマ」(初のベストアルバム『愛 am BEST』の隠しトラックとして収録)を着うたで配信したり、動画CM配信する。

10月25日 - シングル『恋愛写真』を発売。

10月28日 - 公開の映画『ただ、君を愛してる』(玉木宏・宮崎あおい主演)の主題歌に『恋愛写真』が使われる(映画の主題歌は『ユメクイ』より2作連続)。

12月25日 - 本人がデザインを手掛けたウサギのキャラクター「LOVE」の公式ホームページが開設。

12月30日 - 恋愛写真で日本レコード大賞の金賞を受賞。

12月31日 - 紅白歌合戦に『恋愛写真』で3年連続3回目の出場。

【2007年】

1月1日 - ライブDVD『【LOVE IS BORN】~3rd Anniversary~ at Hibiya-Yagai Ongaku-Do on 9th of September 2006』を発売。

2月21日 - シングル『CHU-LIP』を発売。

3月28日 - 自身初のベストアルバム『愛 am BEST』を発売。2ndアルバム『LOVE JAM』から3作連続でオリコン週間チャート初登場1位を獲得。

4月22日 - 東京・日本武道館で開催される「コスモ アースコンシャス アクト アースデー・コンサート」に出演。

5月18日~7月12日 - 全国ツアー『愛 am BEST Tour 2007 ~ベストなコメントにめっちゃ愛を込めんと!!!~』が開催予定。

5月26日 - 『MTV VIDEO MUSIC AWARDS JAPAN 2007』に『最優秀ポップビデオ賞』『最優秀映画ビデオ賞』に『恋愛写真』がノミネート。

7月25日 - シングル『PEACH/HEART』を発売予定。

大塚愛楽曲・作品の特徴

男性目線、女性目線様々な角度からの恋愛を歌った曲が多い。

東京フレンズ The Movie music collectionに収録されている数曲を除いて、歌っているのは全て自身が作詞作曲したものである。

自身のCDの初回盤(「桃ノ花ビラ」を除く)付属として書き下ろしで絵本を書いたり、同レコード会社所属のラムジのCDジャケットのイラストを手掛けるなど、絵本作家やイラストレーターとしても活動。

自作のキャラクターであるウサギの「LOVE」は大塚愛のマスコット的存在である。

大塚愛人物

趣味はカメラとギャンブル。かつては家族でパチンコに行っていた事もあったと言う。
一人っ子である。

特技はたとえ話、見立て似顔絵。

短大時代に幼稚園教諭・保育士・社会福祉主事の資格を習得している。

好きな食べ物はマグロ納豆、肉ニラ炒め、ぎんなん。

好きなスポーツは水泳。好きな作家は野島伸司。

好きな映画のジャンルはホラー映画。

好きなアーティストはRIP SLYME。

好きな色はピンク・赤・白。

ウサギを2匹飼っている。名前は「チョコ」と「ココア」。

虫が大嫌いである。

箸の持ち方が、日頃どうやって食べているのか疑問に思えるほどに崩れている。

時々女性ファッション誌の表紙になることもある(おおむね10代後半~20代前半が対象のcutieやnon-noなど)。そのため、この読者世代からの支持も大きい。

安めぐみに似ているとの声もちらほら聞かれる。なお、安めぐみと大塚愛は、オリコンが行なったアンケートで、結婚したい女性第1位と第2位に選ばれている。

セクシーモデルのmarin.が、大塚愛激似として作品を出したことがあり、本人も現在も意識した作品を出している。

大塚愛エピソード

フジテレビの「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」に3度目(初チャンプ)に出演した際、テレビ電話で両親が登場。松本人志が父親を指して「モンタージュ写真の出来かけみたいや!!」と連呼し、大爆笑した。

その次に大塚が同番組に出演した際、「おとんが、あの(テレビ電話)出演にギャラは出るの?って言ってた」と話し、「出るわけないやろ!!」とダウンタウンにつっこまれていた。

見立て似顔絵が得意であり、2006年7月31日OAの「HEY!HEY!HEY!」で、その特技を披露していた。

浜田雅功をヒヨコ(浜田曰く「ちっちゃ!!」)、松本人志をボウリングの球に見立てて描いたのを始めとして、2007年3月5日OAでは安倍晋三首相を「いい政治をどんどん産み出してほしい」とウミガメに、木村祐一をグローブに、そして温水洋一をジャガイモに見立てた似顔絵を描いた。特に温水の絵に関しては浜田から「これはようできてる」と大絶賛だった。

女優の真木よう子と「東京フレンズ」で共演して以来非常に仲が良く、ハワイへ旅行に行ったり、2人でドライブしたり、手料理を作ってもらったりしている。

同じく、「東京フレンズ」で共演した、女優の小林麻央とも仲が良い。その他、同じ事務所のBoAとはプライベートでも仲が良いらしい(TBSテレビの「うたばん」にて)。

ゲスト出演した2007年4月22日放送分のフジテレビ「新堂本兄弟」のコーナー「堂本一問一答」において、「我が家だけだったかもしれない大塚家の習慣は?」という質問に対して、「家族3人でエロビデオを見ていた」と答え、KinKi Kids達を驚かせた。

だが、その後の本人の同番組内での説明によると、大塚が言う「エロビデオ」とはおそらくカラミをメインとするようなAVのようなものではなく、Vシネマの「けっこう仮面」シリーズのような作品である。

自身は今、「ハレイワスーパーマーケット」というブランドの、女の子が、ショッピングカートを押している全面プリントのものTシャツをプライベートに着用している。

コブクロ【タレント検索ちゃん】

コブクロ(こぶくろ)は、日本の2人組J-POP・フォークデュオ。

>>コブクロ作品一覧

コブクロメンバー

小渕健太郎(こぶち けんたろう、1977年3月13日 -)

宮崎県宮崎市出身。O型。身長168.2cm。宮崎県立宮崎工業高等学校卒業。通称「コビィ」・「主任」・「ケン坊」。

ギター・ボーカル 担当。他にブルースハープ、三線、指笛を演奏することもある。

黒田俊介(くろだ しゅんすけ、1977年3月18日 - )

大阪府堺市(現在の)南区出身。O型。身長193.4cm。大阪体育大学浪商高等学校卒業。通称「黒ちゃん」・「ロダー」。

ボーカル担当。現在ギターは小渕の担当だが、出会った頃までは、黒田もギターを弾いていた。 マイクを良く右手で持つ。

193cmという巨体は、様々なネタに使い、使われることが多い。

【バンドメンバー】

Drums,Timpani(ドラムス、ティンパニ)桜井正宏
Bass(ベース)山田裕之
Guitar(ギター)西山太郎
Organ,Piano(オルガン、ピアノ)藤井理央

コブクロ概要

1998年5月、サニックスという会社のセールスマンの傍ら路上ライブをしていた小渕と、ストリート・ミュージシャンをしていた黒田が、堺市の堺東銀座通り商店街で出会い意気投合。

同年9月、小渕が黒田に曲を書いて、黒田に提供したが、黒田のギターがあまりに下手だったのを聞いて、小渕が隣でギターを弾いた事から黒田から一緒に組もうと声をかけた。
小渕はこれを「出来ちゃった結成」なのだと「笑っていいとも!」の「テレフォンショッキング」出演時に話していた。

この時の曲がのちに代表曲となる「桜」である(インディーズ盤「Root of my mind」・5thアルバム「NAMELESS WORLD」に収録)。
「桜」を路上で披露した際、観客から「誰の歌ですか?」と問われた小渕は、オリジナル曲というのが恥ずかしくてとっさに「ミスチルのインディーズの曲です。」と答えた。(後に本人に謝罪済み)

ユニット名は、2人の名字、小渕(コブチ)と黒田(クロダ)から名づけた。

のちにそのネーミングのアイデアは吉本興業所属のお笑いコンビ、FUJIWARAから来ていることを明かしている。(過去に心斎橋筋で演奏中にFUJIWARAの原西孝幸にからまれたこともあるらしい)

ちなみに小渕が黒田に初めて作った曲の歌詞カードに「コブチとクロダでコブクロでええか」と書いていたのがきっかけ(子宮の意味があることは知らなかった)。

SPOON(スプーン)という候補もあった。フォーク以外もでき、ナイフ(ロック)みたいに鋭くなく、人の心を掬うという意味。

二人の身長差は25cmあり、黒田が大柄で小渕が小柄であると思われているが、前述の通り黒田が193cmと極めて身長が高いため、168cmの小渕が小柄に見えるだけである(ちなみに彼らとは逆に爆笑問題やナインティナイン、中川家は片方が身長が低いためもう片方の身長が高く見える)。

ライブやメディア上でのトークの面白さに定評があり、ライブのMCをみたファンからは「ネタ帳があるんですか?」と聞かれるほど。

また、ナイナイサイズ!に出演した際にはナインティナインに「M-1グランプリに出ろ!」と言われたり、HEY!HEY!HEY!に出演した際もダウンタウンの松本人志に「もうコブクロじゃなくて笑い袋でしょ?」と言われるなど、大物芸人からの評価も高い。

ストリート時代、神戸の三ノ宮で路上ライブをしていると、その日はいつも以上に客が多かった。向かい側でストリート漫才をしているコンビの客を取ってしまったからである。
そのストリート漫才をしていたコンビが当時アマチュアだったお笑いコンビのNON STYLEだったという逸話がある。

彼等の昔からのファンを「コブファミ」と呼ぶ。これはFM802のDJ・ヒロ寺平が命名した。

ミノスケオフィスコブクロという個人事務所に所属しているが、研音と業務提携している。

コブクロ来歴

1998年9月、コブクロ結成。

2000年3月、 梅田のバナナホールライブにて、初のワンマンホールライブ

2000年12月、大阪厚生年金会館 芸術ホールライブ

2001年、「YELL~エール~」でメジャーデビュー。オリコン初登場10位、最高位4位のヒットとなった(彼らの地元大阪チャートでは、1位を獲得)。この頃は19やゆずに次ぐ「第三のネオ・フォークデュオ」と言った紹介がなされていた。

2002年2月14日、 シングル「風」をリリース、関西での人気を不動のものとする。

2002年12月24日、Live☆Rally 2002"grapefruits"ファイナルは大阪城ホール。

2003年12月30日、"Live☆Rally 石の上にも2003年"大阪フェスティバルホールを皮切りに全国15公演を行う。

2003年12月30日、Live☆Rally 2003"STRAIGHT"ファイナルは大阪城ホール。

2004年3月24日、メジャーデビュー後、初の映像作品であるDVD「コブクロ!LIVE!GO!LIFE!」を発売。エンドロールに19671人の方のお名前を掲載し、ギネス記録として申請。
2004年9月23日、歌手でタレントの所ジョージと組んでトコブクロ結成。毎朝、ボクの横にいて。 をリリース。

2004年12月26日、大阪城ホールにてKOBUKURO LIVE TOUR '04"MUSIC MAN SHIP"終了。(全11公演)ワンマンホールライブ100、101回目はツアーファイナルの大阪城ホールで達成。
2005年5月11日、「ここにしか咲かない花」がシングルとして自身最大のセールスを記録。
2005年11月2日、「桜」で自己最高初動セールスを記録。

2005年12月21日、アルバム「NAMELESS WORLD」がオリコンウィークリーチャートで1位を獲得。

2005年12月31日、NHK紅白歌合戦に初出場(歌唱曲は「桜」)。

2006年5月6日、初の武道館公演を行う。関東地方での人気も不動のものとなる。

2006年9月27日にはシングル(両A面含む)コレクション「ALL SINGLES BEST」を発売し、オリコンウィークリーチャートで4週連続1位を獲得。累計売上が200万枚を超える大ヒットとなる。

2006年9月30日、テレビ朝日系にて「風」、「Million Films」、「永遠にともに」の3曲の歌詞、世界観を原作にオリジナルストーリーを書き下ろしたオムニバス形式のドラマ「一生忘れない物語」が放送されている。

2006年の第57回NHK紅白歌合戦に昨年に引き続き、二度目の出場が決まった(歌唱曲は、「風」)。

2007年1月8日から放送中のフジテレビ系月9の速水もこみち出演連続ドラマ「東京タワー~オカンとボクと、時々、オトン~」の主題歌「蕾(つぼみ)」を書き下ろし、2007年3月21日に発売。発売2週目の2007年4月9日付オリコン週間シングルチャートで、シングルでは14作目にして初の1位を獲得した。

2007年2月28日に同じレコード会社の所属である、絢香と組んだスペシャルユニット「絢香×コブクロ」としてのシングル「WINDING ROAD」を発売。

2007年3月13日、「ALL SINGLES BEST」が第21回日本ゴールドディスク大賞でアルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。

2007年6月16日~8月12日、KOBUKURO LIVE TOUR '07 “蕾”開催予定
(全24公演・大阪城ホールは史上初の6公演決定、ファイナルはさいたまスーパーアリーナ)。

コブクロエピソード

東京で初めて路上ライブをした際、人が全然集まらず「東京の人は冷たいな~。」と思っていたら、実は大雨で渋谷が冠水して大変なことになっていた。

次のハチ公前での路上ライブでは人が100人以上集まり「俺らすごいやん!」と思っていたら、実は郷ひろみの路上ゲリラライブ (GOLD FINGER '99) だった(黒田は背が高く、野次馬の中で頭一つ飛び出ていたため、テレビで見て自分がすぐわかったらしい。これが初のワイドショーデビュー)。

コブクロがメディアに出るきっかけになったのは、京都で路上ライブをしているときに、森脇健児から「自分ら歌うまいなあ。ラジオで歌って見いひんか?」と声をかけられ、KBS京都に出演したのがきっかけである。

コブクロファンフェスタ

毎年和歌山市内で開催されるコブクロ恒例のライブがある。これは『ファンフェスタ』と呼ばれており、全国各地からファンが訪れる。

和歌山にはコブクロの所属事務所があり、デビュー前から和歌山県内で多くのライブを行なってきた。それ故、和歌山はコブクロの二人が『第二の故郷』と呼ぶ場所となっている。

もともとは野外ライブとして和歌山マリーナシティで行なわれていたが、現在では同市内にある和歌山ビッグホエール(屋内会場)で行なわれている。

一覧
ファンフェスタ2007 2007年4月30日 和歌山ビッグホエール 観客約7000人
ファンフェスタ2006 2006年7月8日 和歌山ビッグホエール 観客約7000人
ファンフェスタ2005 2005年3月20日 和歌山ビッグホエール 観客約7000人
ファンフェスタ2004 2004年3月28日 和歌山ビッグホエール 観客約6500人
ファンフェスタ2003 2003年8月2日 和歌山ビッグホエール 観客約6000人
ファンフェスタ2002 2002年7月14日 ポルトヨーロッパ 観客約3500人

コブクロ交友関係

多くのミュージシャンとの交流がある。佐藤竹善とはスターダストレビューの「木蘭の涙」をカバーもしている。

また馬場俊英の再デビューシングル「ボーイズ・オン・ザ・ラン」のレコーディングにも参加。

ちなみに、「ボーイズ・オン・ザ・ラン」は自身のアルバム「MUSIC MAN SHIP」でカバーしている。

同じレコード会社所属の絢香とはミュージックフェアでの共演をきっかけに、「WINDING ROAD」という楽曲を共作した。

この曲は2006年夏のライブにて初披露され、コラボレーションユニット「絢香×コブクロ」として、2007年2月28日にリリースされた。

Kiroroと親交が深く、「KiroroKobukuro」というイベントライブも開催。

小栗旬【タレント検索ちゃん】

小栗旬(おぐり しゅん、1982年12月26日 - )は日本の俳優である。東京都小平市出身。トライストーン・エンタテイメント所属。

>>小栗旬作品一覧

小栗旬人物

生年月日: 1982年12月26日
身長183cm 体重62Kg 股下89cm B87cm W76cm(腰周り86cm)H90cm 靴27.5cm 血液型: O型 出身: 東京都 趣味・特技: 野球・ボクシング・サーフィン・音楽鑑賞

父・小栗哲家(てつや)は舞台監督。

兄・小栗了は父の仕事を手伝いながら俳優業もこなしている。(映画『劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者』(2005年)、舞台『間違いの喜劇』(2006年)で共演している)

小学校6年の時、内田有紀と共演したいという理由から児童劇団に入団し、子役エキストラからスタート。(2007年3月時点、未だ共演経験無し)

芸能界との二重生活に苦しみ、明星学園高等学校中退。しかし、卒業式には友人らと共に紛れ込み、卒業写真にも写っている。

単発やゲスト出演などを経て、『GTO』のいじめられっこ役で連ドラ初レギュラーとなり、デビュー。

「しあわせ家族計画」で映画初出演。

左利きである。

大の阪神タイガースファン。

「中目黒上腕二頭筋」という野球チームに所属している。

ZOZOTOWN内で「中目黒上腕二頭筋」の服をプロデュースし、NOUNOとコラボした服を販売した事がある。

2006年3月時点までに松嶋菜々子との共演が多い。

映画初出演後、しばらく仕事から遠ざかっていたが、『Summer Snow』の耳の不自由な弟役で復帰。

『ごくせん』で注目され、その後、数々の舞台、映画、ドラマに出演。
2005年は舞台、映画、スペシャルドラマ、大河ドラマ、全クールの連続ドラマに出演した。

『花より男子』の花沢類役で人気が上昇した。

『名探偵コナン10周年ドラマスペシャル「工藤新一への挑戦状~さよならまでの序章(プロローグ)~」』では工藤新一役に決定。この配役は、原作者青山剛昌の「新一は小栗君が似合うのではないか」という提案によるもの。

2006年、蜷川幸雄演出『タイタス・アンドロニカス』のエアロン役で、7月のイギリス公演において、スタンディングオベーションの快挙を成し遂げる。

花より男子のF4(花の四人組)Stand Up!!のラスト4(最後の童貞四人組)と何かと四人組の呼称に縁がある。

wiiを持っていて松田翔太が来たときに、兄と姉と、犬をまじえてボウリングゲームを、やったらしい。

トライストーン・エンタテイメント所属

干支は戌年

>>小栗旬作品一覧

リアディゾン【タレント検索ちゃん】

リアディゾン(Leah Donna Dizon, 1986年9月24日 - )は、アメリカ合衆国ネバダ州ラスベガス出身の歌手、モデル、レースクイーン。

>>ディアリゾン作品一覧

リアディゾン人物

フランス系アメリカ人の母と中国系フィリピン人の父とのハーフ。六人兄弟の次女であり、兄が二人、姉が一人、弟が二人いる。

弟のBrad Dizonとはナムコの3D格闘ゲーム、鉄拳の良き対戦相手。

日本での活動の為、日本語を勉強中。習得まではいかないものの片言で最低限の意思の疎通は出来る模様。自ブログにおいてローマ字表記の日本語の簡単な文章を披露。(2006年12月現在)

好きな本は『SAYURI』、『ヴァージン・スーサイズ』、『ライ麦畑でつかまえて』等。
好きな食べ物はキムチ、焼き肉、フォー、果物、野菜等と、アジア料理が多く見られる。
好きなミュージシャンとしてRed Hot Chili PeppersやDEFTONES、KORN、ニルヴァーナなどのハードロック系の他に、X JAPAN、森山直太朗、宇多田ヒカル、安室奈美恵などの邦楽アーティストがあげられているが、これは日本人ハーフの従姉妹の影響と思われる。

ペットはハムスターの「ハムちゃん」。

もともとは歌手志望。モデルの仕事は、歌手になるための下積み・バイトとして始めたのがきっかけ。

好きなミュージック・ビデオは椎名林檎の「歌舞伎町の女王」。特に間奏の、椎名による口笛の部分が好きであるとMTVM size内にて発言している。

リアディゾン来日までの経緯

アメリカで立ち上げた自分のウェブページに自身の写真を掲載したところ、世界中からアクセスが増加。

特に日本からの支持が多く、中でもルーズソックスでセーラー服の写真が話題になり日本のインターネット上で件の画像が瞬く間に増殖、至る所に貼られ、来日を期待するメールが連日寄せられるようになる。

その事が後押しとなり、自分でプロモーション用のデモビデオを撮影・作成し、日本の芸能プロダクションにメールする。

この時、日本語は全く話せなかったが、ビデオの中で安室奈美恵の『I WILL』を日本語で歌っている。

将来性を見込んだスカイコーポレーションによって日本に呼び寄せられ2006年春に来日。
「グラビア界の黒船」との謳い文句で、日本でデビューするきっかけを掴む。

リアディゾンエピソード

2007年1月31日放送回の「ロンドンハーツ」(テレビ朝日)で、日本に来て初めて見たテレビ番組は同番組で、青田典子が歌っている企画だったと言う事を告白。また、青木さやかと田村淳のファンである事も同時に告白した。

ただ、淳をロンドンブーツ1号2号だと言う事を知らず、ピンだと思っていた模様。その為、淳の相方・田村亮に突っ込まれたが、知らない人に突然、突っ込まれ(本人は怒られたと思った)、少々ご立腹だった。

この回では「オシャレゲート」という企画に出演し、ファッションモデルのSHEILAにファッションチェックを受け同氏は熱弁したものの、まだ完璧に日本語を理解しているわけではないので、本人はキョトンとしていた。この回のオシャレゲートはリアのみだった。

「うぇぶたま」に出演したとき、きぐるみ「ジャッピー(バナナマンの日村)」に胸を触られる。

2007年2月9日、インターネットテレビGyaO内の番組、GyaOジョッキーに生出演。1時間番組の予定であったが番組途中にアクセス過多でサーバーがパンクする。
(同じ番組企画でサーバーがパンクしたのはGackt以来との事)

宇多田ヒカル【タレント検索ちゃん】

宇多田ヒカル
(うただ ひかる、1983年1月19日 - )は、日本の女性シンガーソングライターである。本名:宇多田 光(読みは同じ)。アメリカ合衆国ニューヨーク州出身。身長158cm。血液型A型。コロンビア大学中退。日本とアメリカの二重国籍である為、日本人であると同時に日系アメリカ人でもある。

>>宇多田ヒカル作品一覧

宇多田ヒカル
来歴・概要

演歌歌手であった藤圭子の娘としても知られる。愛称は「ヒッキー(Hikki)」で、ニューヨーク時代に友人からつけられた。 邦楽において、他の追随を許さない独自の音楽性によってカリスマ的な存在感を持ち、「日本の歌姫」と称されるほどの実力派女性シンガーソングライターである。 また、身近な出来事の中にある深層心理を描いた歌詞世界は宇多田ヒカル独特の雰囲気を形作っている。 10代から40代と幅広い人気を誇るシンガーである。

所属事務所は「U3MUSIC」で、父親で音楽プロデューサーの宇多田照實がU3MUSICの代表取締役で、母親で演歌歌手の藤圭子はU3MUSICの役員として所属し、宇多田一家の音楽活動およびそのサポート業務を行っている。レコード会社は主に東芝EMI。

宇多田ヒカル
【1993年~2000年】

米国居住時代の1993年、U3(父:宇多田照實と母:藤圭子とのファミリーユニット)名義で『star』を発表。また同じく米国で1997年にCubic U(宇多田家の3乗の意味)としてソロシングル『Close To You』とアルバム『Precious』を発表。なお、日本では1996年に「藤圭子 with cubic U」としてシングル『冷たい月~泣かないで~』を発表、1998年5月28日に「Cubic U」としてNHK-BS2の番組「真夜中の王国」にテレビ初出演をしている。

1998年12月、宇多田ヒカルとしてシングル『Automatic / time will tell』でデビュー。プロモーションはラジオ出演のみだったが、印象的なR&Bのサウンドやプロモーションビデオ、また宇多田が弱冠15歳で作詞作曲を手がけ、アメリカでデビューしている帰国子女である事や、かつての演歌歌手・藤圭子の娘だという事など、多くの話題性で一気にその存在を強く印象づけた。その結果、デビュー曲でいきなりのミリオンセールスを記録。

1999年3月、1stアルバム『First Love』を発売。日本で860万枚以上(オリコンの売り上げデータは765万枚)、国外を含めると990万枚以上を出荷し、国内アルバム売り上げ史上歴代1位となる超メガヒットとなる(現在もこの記録は破られていない)この年に帰国し、活動拠点を日本に移す。それまでラジオ以外メディア露出はほとんどなかったが、6月18日の「ミュージックステーション(26.5%)」を皮切りに、「HEY!HEY!HEY!(28.5%)」「SMAP×SMAP(33.5%)」などのテレビ番組にも出演。いずれも番組最高視聴率を叩き出した。

2000年、調布市野水のインターナショナルスクール「アメリカンスクール・イン・ジャパン」を12年生で卒業し、米国の名門コロンビア大学に入学。その後、約1年で退学。同大のジェラルド・カーチス教授の発言により退学していたことが露呈するまでの間、日本国内では2002年から休学中であるという風に思われていた。「大学には私がおばあちゃんになったら戻るかもね」との発言をしている(アメリカの大学制度は、一度入学して在籍すると、復学が日本と違い容易。スティーブン・スピルバーグは、中途退学後に復学して卒業した。デーブ・スペクターによると、アメリカでは社会人の復学が多いとのことである。)。

2000年7月、初めての全国ツアー「BOHEMIAN SUMMER~宇多田ヒカル Circuit Live 2000~」を開催。7月1日の国立代々木競技場 第一体育館を皮切りに、全国10ヶ所で開催。徳島公演の際には腰痛でダウンするという緊急事態もあったが、見事乗り越え、名古屋レインボーホールでの最終公演の後、千葉マリンスタジアムで3日間にわたって追加公演を行った。いずれの公演のチケットもプラチナチケットと呼ばれ、電話予約開始から瞬時に完売、ネットオークションなどで高値で広く出回った。千葉マリンスタジアム3日目の公演では、この日のためにJam_and_Lewis が初来日し、演奏に参加した。“最初で最後の全国ツアー”などとうたわれたが、2006年夏に2度目のツアーを開催した。

宇多田ヒカル
【2001年~2003年】

2001年3月、2ndアルバム『Distance』を発売。発売日が浜崎あゆみのベストアルバム『A BEST』と重なり、「歌姫対決」と話題を集める。結果『Distance』の発売1週間の売り上げ枚数はオリコンで300.3万枚(邦楽アルバム初動売上1位)、プラネットで262.9万枚、サウンドスキャンで244.3万枚を記録し、日本の3大チャートのすべてで宇多田が浜崎を上回った。最終的に双方とも売り上げ400万枚を超える大ヒットとなり、結果的には宇多田が勝利した。売り上げ約450万枚(オリコン)。オリコン年間アルバムチャート1位獲得。

2001年6月8日に起きた、附属池田小事件の被害者の1人が宇多田ヒカルのファンであったこと知り、本来リリースする予定であったシングルカット曲『DISTANCE』をバラード調の曲に作り直し、この子に捧げる曲『FINAL DISTANCE』としてリリースする。

2001年7月、Tezuka Osamu @ Cinema企画のインターネットアニメ「ブラック・ジャック」で、ピノコ役の声優に起用される。声優の仕事は本人初の試みである。

2002年1月、アメリカ合衆国のレコード会社「Island Def Jam Music Group」と契約。アメリカでのアーティスト名を「Utada」とし、本格的に米国進出を果たす。

2002年4月、卵巣腫瘍(良性)と診断され摘出手術を受ける。テレビ出演などプロモーション活動の中止を余儀なくされ、出演予定だった「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングは、急遽父親宇多田照實が代理で出演。術後も薬の副作用で体調が思わしくなくしばらく休養。

2002年6月、3rdアルバム『DEEP RIVER』発売。テレビ出演はなかったが、雑誌・ラジオ番組でプロモーション活動を行った。発売1週間の売り上げ枚数はオリコンで235万枚、プラネットで189万枚を記録した。売り上げ約360万枚(オリコン)。オリコン年間アルバムチャート1位獲得。

2002年9月6日、写真家で映画監督の紀里谷和明と電撃結婚する。
紀里谷はアルバム『Distance』のCDジャケットや『traveling』『光』『SAKURAドロップス』3rdアルバムのタイトル曲となった『Deep River』などのプロモーションビデオを手がけた。

2003年1月19日、自身20歳の誕生日に、ライブストリーミング・イベント「20代はイケイケ!」を開催。トークの他ミニライブも行われ、井上陽水の「少年時代」のカバーなど全3曲を披露。約2130万件という驚異のアクセス数を記録している。

宇多田ヒカル
【2004年~現在】

2004年3月、コンピレーションアルバム『Utada Hikaru SINGLE COLLECTION VOL.1』を発売。4週以上に渡ってオリコン1位を独走。250万枚以上のセールスを記録し、年間アルバムチャート1位に。

2004年2月、3日/4日/7日/8日/10日に、ライブ「ヒカルの5」開催。武道館での5日間限定ライブ。定員5万人に対して100万件以上の応募があり、プラチナチケットとなった。

2004年4月、シングル『誰かの願いが叶うころ』を発売。夫・紀里谷和明の初監督映画『CASSHERN』のテーマソングで、映画に関しては自ら音楽番組などでプロモーションに務めたおかげで興行的に成功したが、内容については評価が分かれた。(→CASSHERN参照)

2004年10月、幾多の延期を経てアルバム『EXODUS』で全米メジャーデビュー。収録曲「Devil Inside」のリミックスシングルがダンスチャートで1位を記録するものの、アルバム自体はビルボードチャートで最高160位。

2005年10月には同アルバムで全英デビュー。日本では全米発売から4週間早い2004年9月8日に先行発売され、全英語詞にも関わらずミリオンセラーを記録するヒットとなった。オリコンチャートで1位獲得。これ以降、日本でのシングルリリースがしばらく見られなくなる。

2005年9月にシングル「Be My Last」を発売し、その後も立て続けにシングルを発売。再び日本での活動が盛んになった。また、プロモーションで出演したTV番組内で「去年診断された、慢性すい炎が少し良くなっていた。」と明かした。卵巣の摘出手術以降も体調はすぐれないものと思われる。2月リリースの「Keep Tryin'」は200万ダウンロード突破。その後NHKみんなのうたで、ぼくはくまが起用される。

「誰かの願いが叶うころ」「Be My Last」「Passion」「Keep Tryin'」など、最近のシングルは作詞・作曲に加え編曲も宇多田自身が担当しており、活動の範囲を確実に広げている。NHK「トップランナー」では“シンガーソングライター”ではなく“音楽家”として紹介された。

2006年6月14日、4年ぶりとなる4枚目のオリジナルアルバム『ULTRA BLUE』リリース。この発売に先駆け、収録曲「This Is Love」を配信限定シングルとして販売した。このアルバムは初動50万枚を突破し、1stアルバムからの初動50万枚突破記録を更新し、歴代1位となった。オリコン2週連続1位獲得。

2006年、6年振り2度目となる全国ツアー「UTADA UNITED 2006」を開催。7月1日の宮城県総合体育館からスタートし、9月10日の代々木体育館まで全国11箇所全22公演行われた。国内でリリースされた曲の他にUtada名義でリリースした曲も披露し、まさに“集大成”となった。演出にはアリーナクラス最大規模のLEDを使い、夫・紀里谷和明もこれに演出監督として参加している。7月28日には、ZEPP大阪で限定シークレットライブ「One Night Magic」を開催。12時間の応募期間にも関わらず1万通を超える応募があり、プラチナチケットとなった。

テトリスが好き。本人曰く「5才の頃から毎日プレイしている」ためか腕はかなりのもので、ニンテンドーDS版では、カンスト[1]を達成している([1])。2006年8月、任天堂が主催したイベント「宇多田ヒカルとテトリス対決!!」に参加。抽選で選ばれた一般者とテトリス対決を行い、26勝4敗という好成績を残した。テトリス開発者との対決も行い、1勝1敗。また、「テトリスはスポーツ」と発言している。

2007年3月3日、仕事などお互いの生活のすれ違いを理由に夫・紀里谷和明と3月2日に離婚したことを、U3MUSIC公式サイトの日記「Message from Utada Hikaru/Utada」にて報告した。

嵐【タレント検索ちゃん】

(あらし)は、日本の男性アイドルグループ。 メンバーは大野智、櫻井翔、相葉雅紀、二宮和也、松本潤の5人。
所属する芸能事務所はジャニーズ事務所、レコードレーベルはジェイ・ストーム。

>>嵐作品一覧

概要

1999年、人気絶頂期のジャニーズJr.から選び出され、結成されたアイドルグループ。 (ジャニーズJr.とはジャニーズ事務所に所属するCDデビュー前の少年たちで、1990年代後半、ゴールデンタイムに冠番組を持ち、東京ドームや日本武道館でコンサートを行っていた。)

結成時から各メンバーの知名度、人気は高く、デビューCD「A・RA・SHI」は結成後2ヵ月で発売されたにもかかわらず、初動売上約56万枚(オリコン調べ)を記録し、先駆けて行われた握手会には約8万人を動員した。

反面、グループ結成およびCDデビューは、当人たちには十分に知らされないまま進められたもので、結成会見までほとんど話したことのないメンバーがいるほど唐突の出来事であり、嵐というグループとしての持ち味はもちろん、結束もCDデビューと並行して図らなければならなかった。

結成後しばらくの間、活動の場はジャニーズJr.と同じくすることが多く、その人気もジャニーズJr.の延長であったことは否めない。

2002年よりメンバーのソロ活動(木更津キャッツアイ、ごくせんなど)が充実しはじめたことをきっかけに、もうジャニーズJr.ではない、ひとつのアイドルグループ嵐としての人気が定着。

秋には主演映画「ピカ☆ンチ LIFE IS HARDだけどHAPPY」が公開された。 前年11月にはプライベートレーベルであるジェイ・ストームが設立され、CD製作やコンサート構成により主体的にかかわるように。 ジャニーズ事務所のスタイルとは違った、嵐独自の路線が打ち出されるようになっていく。

結成して5年目の2004年にはメンバーのキャラクターが確立。 単独のバラエティ番組「Dの嵐!」にはアイドルの枠を超えて深夜番組としての支持が生まれ、トークの上達がうかがわれる。 同年「24時間テレビ」のメインパーソナリティを務め、番組を盛り上げた。

ドラマ主題歌「WISH」のロングヒットから幕を開けた2006年、アジアでコンサートを開催。チケットは完売し、台湾で約2万人、大韓民国で約1万6000人を動員した。

翌2007年にはその凱旋公演を単独では初の東京ドームで開催、約5万5000人を動員した。 2006年は音楽活動に加え、テレビドラマ、映画、バラエティ番組、報道番組、演劇とメンバー全員のソロ活動が充実、3本目の主演映画「黄色い涙」の制作もあり、社会から注目される1年となった。

メンバー

大野智(おおの さとし1980年11月26日生まれ A型) 
櫻井翔(さくらい しょう1982年1月25日生まれ A型)
相葉雅紀(あいば まさき1982年12月24日生まれ AB型)
二宮和也(にのみや かずなり1983年6月17日生まれ A型)
松本潤(まつもと じゅん1983年8月30日生まれ Rh-A型)

年譜

1999年9月15日 ハワイ州ホノルル沖のクルーズ客船にてデビュー記者会見。嵐の結成、およびCDデビューが発表された。

1999年11月3日 「A・RA・SHI」でCDデビュー。

前々日に行われた握手会には約8万人のファンが殺到し話題に。

「A・RA・SHI」の初回出荷枚数は36万枚(曲が決定する以前から発売が決まった時点で枚数は決定していた)、発売1週間の初動売上は約56万枚(オリコン調べ、デビューCDとしては歴代1位)、累計売上約97万枚。

2000年4月6日 初めてのコンサートツアー「嵐 FIRST CONCERT 2000」を開催。

2001年10月3日 初めてのメインバラエティ番組「真夜中の嵐」が放送開始。

2001年11月7日 所属レコード会社を移籍。ポニーキャニオン(契約満了)からジェイ・ストームへ。

ポニーキャニオンから発売されたCDはすべて廃盤となったため、翌年5月16日、ポニーキャニオン在籍時のシングル曲を収めた「嵐 Single Collection 1999-2001」が発売されている。

2002年10月18日 メンバー5人全員での初主演映画「ピカ☆ンチ LIFE IS HARDだけどHAPPY」が公開。主題歌、挿入歌も担当した。

2004年3月1日 初主演映画の続編「ピカ☆☆ンチ LIFE IS HARDだからHAPPY」が公開。

2004年8月21日、8月22日 「24時間テレビ」の第27代メインパーソナリティを務め上げる。

番組終盤には相葉雅紀がメンバーへの手紙を読み上げ、メンバー全員の涙をさそった。

2006年3月11日 二宮和也がアメリカ映画撮影のため渡米。4月25日に帰国するまで、4人での活動となった。

渡米前日にはメンバー5人で壮行会を開いている。

2006年7月31日 タイ王国、台湾、大韓民国の3ヶ国をわずか1日で回り、アジア進出を大々的にPR。

各国ではファンが嵐を一目見ようと記者会見会場や空港に殺到、各国メディアのみならず国内メディアもこれを大きく上げた。

特に大韓民国の仁川国際空港には1000人を超えるファンが到着ロビーに出迎え、メンバー自身も驚きを隠せないままの記者会見となった。

2006年9月16日、9月17日 台北市でコンサートを開催。

2006年11月11日、11月12日 ソウル特別市でコンサートを開催。

台湾公演、大韓民国公演ともにチケットは完売、それぞれ約2万人、約1万6000人を動員した。

大韓民国での単独公演は、ジャニーズ事務所内で初めて。
10月7日に予定されていたバンコクでの公演は、9月19日に発生したクーデターのため中止に。

2007年4月4日 3本目の主演映画「黄色い涙」が公開。

2007年4月29日 東京ドームで初の単独公演を開催、約5万5000人を動員した。

2007年5月23日 コンサートDVD「ARASHI AROUND ASIA」が発売された。

2007年 夏にコンサートの開催が予定されている。

エピソード

【グループ名の由来】

嵐というグループ名は、「世界中に嵐を巻き起こす」という意味のほか、頭文字が五十音でも最初の“あ”、アルファベットでも最初の“A”であり、「頂点に立つ」という意味が込められている。

他には「?」(クエスチョンズ)などの候補があった。木村拓哉が命名したという噂があったが、誤りである。

【結成まで】

メンバー5人が初めて揃ったのは、デビュー記者会見(9月15日)を行うハワイ州に渡る3日前。最後に知らされたのは相葉雅紀で、その日仕事をキャンセルして向かったところに4人がおり、デビュー曲「「A・RA・SHI」」の振り付けが始まった。

櫻井翔、二宮和也、松本潤は夏前からレコーディングや振り付けを行っていたが、CDデビューすることは知らされていなかった(当時、ジャニーズJr.にはCDデビューには至らない数々のユニットが存在した)。

大野智と相葉雅紀の加入は3人の意向によるものだった。大野智はレコーディングの手伝いを頼まれ承諾、9月初頭にレコーディングをしている。

ジャニー喜多川に初めて「YOUたちは嵐だよ」と言われたのが三幸園らしい。(相葉談 天才!志村動物園より)

【リーダー】

大野智が嵐のリーダーに決まったのは、1999年11月2日に放送されたテレビ番組「少年隊夢」内でのこと。

それまでは大野智がダンスリーダー、櫻井翔が勉強リーダー、相葉雅紀は未定、二宮和也が芝居リーダー、松本潤がお笑いリーダーと分担制だった。

【特徴】

デビュー当時、グループ内の年齢差が3歳以内というのはジャニーズ事務所でもめずらしかった。

アイドルらしくない趣味を有していることを自覚している。アンダーグラウンド、アキバ系、文化系、マイナー、シュールなどと自称。

【仲が良い】

メンバー同士で誕生日プレゼントを渡している。2005年の大野智の誕生日は「まごまご嵐」の収録日に当たり、誕生日ケーキを贈られた模様が放送された。この日、松本潤はテレビドラマ撮影のため不参加。

また海外に行った折には、お互いに土産を買って帰っている。

プライベートで旅行をしたことがある。大野・二宮・松本・相葉で箱根に日帰りで旅行した(櫻井は仕事のため不参加)。

その際松本が相葉の車を料金所の近くでカスってしまった。松本はこのことを「ハンドルがいつも自分が運転している車とは左右逆だったから」と言っている。

喧嘩をしたことがない。松岡昌宏(TOKIO)から喧嘩をしないと分かり合えないと怒られたことがある。

メンバー5人とジェイ・ストームのスタッフでフットサルのチームを組んでいる。ユニフォームも作った。

【関ジャニ∞ 】

同じジャニーズ事務所の関ジャニ∞とは年齢が近く、共にジャニーズJr.人気絶頂期の一員だったためメンバー同士に交友がある。

浜崎あゆみ【タレント検索ちゃん】

浜崎あゆみ(はまさき あゆみ、本名:濱崎 歩(読みは同じ)、1978年(昭和53年)10月2日 - )は日本の女性歌手である。福岡県福岡市出身。福岡市立原中学校卒業。堀越高等学校中退。

愛称は「あゆ」。英語表記は「ayumi hamasaki」。芸能事務所・所属レコード会社はエイベックス・エンタテインメント。血液型はA型。日本を代表する女性ポップス歌手のひとりである。

>>浜崎あゆみ作品一覧

浜崎あゆみ来歴

【~1997年 モデルから女優へ】

10代前半から地元福岡のモデル事務所に所属、当時は「浜崎くるみ」の芸名で福岡中央銀行のポスタ-やその他地元商業広告に登場。

その後、東京の大手芸能プロダクションサンミュージックにスカウトされ(現在も都営地下鉄浅草線浅草駅の押上・成田空港・印旛日本医大・芝山千代田方面ホームに掲示されているタレント養成所の広告には、加藤晴彦とともに昔の写真が使われている。)

テレビドラマ『ツインズ教師』で女優としてデビュー(この作品の後、芸名を「浜あゆみ[『崎』の異体字『』]」に改名)、1992年-1997年頃までテレビドラマや映画に出演していた(他のテレビドラマは『未成年』、『同居人カップルの推理旅行』、『闇のパープル・アイ』、著名な映画としては『すももももも』、『渚のシンドバッド』、『学校II』がある)。声優の経験もあり、アニメ『バトルスピリッツ 龍虎の拳』でユリ・サカザキの役を演じた(しかし現在発売中のDVDでは権利等の問題からか浜崎の声は別の声優のものと差し替えられている。なおアニメの原作となったゲームの続編『龍虎の拳2』の実写CMでもユリ役を演じている)。

【1998年~2000年 歌手デビュー、女子高生のカリスマへ】

1998年4月8日にシングル『poker face』でデビュー、オリコン最高位20位を記録し、同年8月3rdシングル『Trust』ではオリコンチャート初TOP10入りを果たす。

化粧品会社、製菓メーカーのCMタイアップなどで注目度が上がり、1999年1月1日発売の1stアルバム『A Song for ××』でオリコンチャート1位を初獲得。約150万枚を売り上げた。

表題曲「A Song for ××」をはじめ、自作の歌詞が当時の女子中高生を中心に大きな支持を受ける。

同年4月7thシングル『LOVE ~Destiny~ / LOVE ~since1999~』でオリコン1位を獲得。
同7月、当時ライバルとして挙げられていた鈴木あみ(現:鈴木亜美)との同日発売シングル首位獲得競争(浜崎『Boys & Girls』vs鈴木『BE TOGETHER』)は熾烈を極め、初登場週は鈴木が1位、浜崎が2位となったものの、2週目は浜崎が抜き返し1位に、3週目も1位を獲得した。この『Boys & Girls』と10thシングル『A』がミリオンセラーを記録し、同年NHK紅白歌合戦に初出場。

2000年夏には初めてのコンサートツアー(第一幕、第二幕と題し全国を二巡する)に挑むも、左耳の疾患(内耳性突発難聴)により一部公演を延期。のちに左耳の聴覚が弱くなる後遺症を負ったことを公表している。

この頃からマスコミなどで「女子高生のカリスマ」と呼ばれ始め、彼女のファッションや奇抜な行動は女子中学生、女子高校生を中心に多大なる影響を及ぼし、ファッションリーダーとしてネイルアート・大きなサングラス・ヒョウ柄などの流行を生み出す社会現象となった。

【2000年~2003年 頂点 -レコ大三連覇-】

2000年11月、全日本有線放送大賞でグランプリを受賞。以降、2001年と2002年のALL JAPANリクエストアワード、2003年のベストヒット歌謡祭でもグランプリを受賞し、4連覇を達成している。 2000年12月13日発売の19thシングル『M』では初の作曲を手がけ(『CREA』名義)、ミリオンセラーを記録する。また初のカウントダウンライブも開催。以来毎年の恒例となっている。

2001年3月28日、ベストアルバム『A BEST』を発売。 宇多田ヒカルの2ndアルバム『Distance』との同日発売が注目を集めたものの初動・累計ともに宇多田に敗れる。結果的にはどちらも400万枚以上の売り上げを記録した。

同年夏には、女性ソロ歌手としては安室奈美恵以来2人目となる東京・大阪・名古屋・福岡の4大ドームツアーを行った(札幌は完成直後の為、除外)。

同年秋にはアルバムの発売が延期されたとの情報で所属レコード会社エイベックスの株価が下落するなど、エイベックスの看板歌手としての側面も注目されるようになった。また、一時は同社の売り上げの4割を占めたこともあり、同社の経営体質の弱点として「あゆ依存」という言葉も生まれた。

この年の末に24thシングル『Dearest』で日本レコード大賞受賞。 以降2002年に『Voyage』、2003年に『No way to say』で史上初の3連覇を果たす。

2002年7月に発売した27thシングル『H』が、日本のシングルCD売り上げが全体的に低迷した同年において唯一のシングルでのミリオンセラーを記録した(オリコン・日本レコード協会では2002年度チャートでミリオンセラーを記録したが、プラネット・サウンドスキャンでは集計期間の関係上などから2002年度チャートではミリオンセラーを記録できなかった)。

2002年秋にはシングル28thシングル『Voyage』の発売に合わせて短編映画「月に沈む」(監督:行定勲)が公開(後にDVDとして発売)。歌手デビュー以来初めて女優業を行う。

2002年10月、初のレギュラー番組「ayu ready?」がスタートする(2004年3月終了)。 ファッションリーダーとしての活躍も顕著であり、ベストジーニストやネイルクイーンでは殿堂入りも果たしている。

【2004年~現在 松浦氏解任騒動、そして現在】

2004年7月28日、エイベックスを退社した松浦勝人が立ち上げる予定の新会社に移籍する考えを明らかにしたが、松浦の復帰によりそれは免れた(→エイベックス参照)。 しかしこのお家騒動を理由に、同年の日本レコード大賞など一連の賞レースを辞退し、以後賞レースからは距離を置く様になる。

同年以降、爆発的なヒットはないものの、CDシングルは30万枚前後と安定したセールスを保っていたが2005年末から2006年初頭に発売された38th『Bold & Delicious/Pride』、39th『Startin'/Born To Be...』の両シングル(両作ともSWEETBOXとのコラボレーション)では、アルバムの先行シングルであったこと、一般受けの悪さなどの要因もあって累計15万枚程度にまでセールスを落とす。

2006年6月21日に発売された『BLUE BIRD』では売上を初動16万枚にまで回復したと同時にソロ歌手および女性ボーカルでは史上初のシングル総売上2000万枚を達成する(ちなみに、総売上2000万枚を達成しているのは他にB'z、サザンオールスターズ、Mr.Children、SMAPの4組のみ)。

2007年3月には、その先月末に発売されたベストアルバム『A BEST 2 -BLACK-』『A BEST 2 -WHITE-』がオリコン・チャート1位および2位を初登場で独占。この記録は、女性アーティストとしては、1970年の藤圭子の記録以来、実に36年ぶりの快挙であった。

浜崎あゆみ概要

名字の「浜崎」の正しい読み方は「はまざき」ではなく「はまさき」である。圧倒的に九州地方に多い名字である。

家族構成は、母一人子一人。祖母は彼女のデビュー直前に亡くなっている。小学校5年生の3月に、同じ福岡市内を転居した。

デビュー当初は、五反田に住んでいた。

犬(小型犬)好きとしても有名でチワワ、ミニチュアダックスフンドなどを飼っている。仕事場に連れてくるのはもちろん2005年のツアーでは、MC中にステージに登場したこともある。

バンドメンバーには、ギタリストに『よっちゃん』こと野村義男(マネージャーがよっちゃんファン)、ベーシストに元バービーボーイズのENRIQUE(エンリケ)がいる。

デビュー以来、浜崎あゆみのオリジナル曲は全て自身で作詞している。ほとんどの歌詞は日本語。不得手の英語は使わないと宣言していたが、2002年のアルバム『RAINBOW』以降は英語詞を含めたものも発表している。

また曲のタイトルは、「Hana」、「kanariya」、「HANABI」が日本語であるほかは、英語不使用宣言中も全て英語を使っている。(ただし「Voyage」は本来、フランス語なら『ヴォワイヤージュ』、英語読みなら『ヴォイージ』であるが、ローマ字読みで『ヴォヤージュ』と読ませている。)

パチスロ「吉宗」の姫BIGで流れる歌「そこにあるかもしれない…」を歌っているのは浜崎あゆみではなく尼崎まゆみという歌手である。

CNNのTalkasiaの英語のインタビューでは短い時間ではあったが英語を披露している。

『人生はギャンブル』であるとしたうえで、自らの半生を『ハイリスク・ハイリターン型』であると語っている。

浜崎あゆみ主な記録

【売上記録】

CDシングル

首位獲得数:27作 (歴代2位、女性ソロ歴代1位)
TOP10入り:38作 (女性ソロ歴代1位)
総売上枚数:約2001万枚
(2000万枚突破は史上5組目、ソロ歌手および女性ボーカル歴代1位)

CDアルバム (ミニアルバム含む)

首位獲得数:11作 (女性アーティスト歴代4位)
8年連続首位獲得 (歴代2位タイ)
ミリオンセラー:8作 (女性アーティスト歴代2位)
(以上オリコンチャートによる)

【受賞記録】主なものを抜粋。

音楽賞

日本レコード大賞
大賞 (2001年,2002年,2003年)
日本ゴールドディスク大賞
アーティスト・オブ・ザイヤー (2001年,2002年,2004年)
日本有線大賞
大賞 (2001年,2002年)
全日本有線放送大賞→ALL JAPANリクエストアワード→ベストヒット歌謡祭
グランプリ (2000年,2001年,2002年,2003年)
※但し、2002年以降はポップス部門

その他

紅白歌合戦連続出場:7回 (1999年~)
ベストドレッサー賞 (2000年)
ベストジーニスト
一般選出部門 (2000年,2001年,2003年~2005年)
※木村拓哉、草剛に続いて3人目、女性では初の殿堂入り。
ネイルクイーン (2001年~2003年)
※殿堂入り。
他多数。


YUI【タレント検索ちゃん】

YUI(ユイ、1987年3月26日 - )は、日本の女性シンガーソングライター。ソニー・ミュージックレコーズ、スターダストプロモーション所属。福岡県福岡市出身。身長155cm。血液型AB型。

>>YUI作品一覧

YUI
人物

歌声は「天使の琴声」とよばれ、あぐらをかいてアコースティックギターを演奏する姿が印象的である。

趣味は映画鑑賞、読書、バドミントン。

ペットとしてカメ3匹と金魚2匹を飼っている。

ファッションやメイクなど、女の子的な趣味も、本人曰く「疎い」のだという。

読書が趣味と語っている通りかなりの読書量のようである。誕生日にプレゼントとして図書券を貰った際には、20冊以上の本を購入したという。

曲を作る際など、デタラメな英語を口ずさむ。これは後にスタッフがYUI語と名付けた。
なお映画「タイヨウのうた」ではYUI語で「Good-bye days」を歌う姿を少しだけだが見られる。

オーディションの際も当時はまだ未完成だった「I know」をYUI語で歌った。なお、この作曲方法は桑田佳祐なども30年以上全く同じことを行っている。

彼女がメインで使うアコースティックギターはFender社のGA-45SCE NATである。またサブのアコースティックギターとしてFender社のGDC-200SCE NAT、宅録用としてSquier社のBronco Bass Trino Redを所有している。

YUI
略歴

【メジャーデビュー以前】

1987年3月26日、福岡市で誕生。小さな頃から漠然と歌手になりたいと思い、中学3年の頃からノートに詩を書きためる。

高校に進学するが、真剣にアーティストに成りたいと考えていた頃に、ビアンコネロのストリートライブを見終わった後、地元の音楽塾の話を聞く。

高校を辞めて音楽塾に通い始め、ギター演奏と曲づくりを学ぶ。

自宅の布団の上であぐらをかきギターの練習をし、覚えたてのコードで曲作りを始め、最初の曲「Why me」を作る。

その後、福岡市天神の路上でもあぐらをかきながらギターの弾き語りを始める。

この頃、音楽塾の知り合いのライブの前座や音楽塾関係のイベントでライブハウスにも登場していたようである。

2004年3月、ソニーミュージックグループの“SDオーディション”に応募し、約2万人の応募者の中から10人の中に残り、最終審査を受ける。

このときも普段の路上ライブと同じ様にあぐらでギターを演奏し自作曲を歌いあげる。

2曲演奏する審査で「Why me」「It's happy line」を披露したが、「どうしても聴いてもらいたい」と「I know」を追加して演奏し、審査員全員が最高点をつける。

3曲歌ったことに関しては、「怒られそうになったので急いで帰った」とのこと。その後ソニーミュージックグループ内の各レーベルの間で争奪戦が起きるがデビューが決まる。
同年夏前、デビューに向けた準備中に「feel my soul」の原曲を作る[6]。夏にドラマのタイアップが決まり、秋にギターと金魚と亀を連れて上京する。

そして同年12月24日、地元の九州地方限定でシングル『It's happy line/I know』をインディーズレーベルから発売。

【FROM ME TO YOU】

2005年2月23日、シングル『feel my soul』でメジャーデビュー。

PVでのあぐらをかいてアコースティックギターを演奏する姿とキュートなルックス、「天使の琴声」と呼ばれるようになった歌声が話題になった。

以降、TV等のメディアにも登場するようになったが、デビュー後も地元に帰ると路上ライブを行っているらしい。

【CAN'T BUY MY LOVE】

2006年公開の松竹系映画『タイヨウのうた』で初主演で女優デビューを果たす。役とリンクさせて、“YUI for 雨音薫”名義で主題歌『Good-bye days』も担当。

同年6月14日にシングルとして発売されると映画のヒットにともなってロングヒットし、現在自己最高の売上を記録している。

その後もオリコンシングルチャート第3位を記録したシングル『Good-bye days』収録曲「Skyline」のアンサーソングと呼ばれる「I remember you」を収録した次作『I remember you』がオリコンシングルチャートで自己最高となる初登場2位を記録し、アーティストとしての地位を確立させる。

2007年1月17日発売のシングル『Rolling star』では初めてエレキギターを使用また、アニメタイアップに起用されヒットを記録する。

同年2月16日に発表された第30回日本アカデミー賞では映画「タイヨウのうた」で、新人俳優賞を受賞した。

2007年3月7日には、au「LISMO」CMキャンペーンソング(「au × YUI」)として起用された「CHE.R.RY」を収録したアルバムからの先行シングル『CHE.R.RY』を、2007年4月4日には2枚目となるアルバム『CAN'T BUY MY LOVE』を発表。

このアルバムはオリコン週間アルバムチャートで初動売上枚数29.1万枚を記録し、初登場第1位を獲得。また、発売2週目も10.0万枚を売り上げ、2週連続で第1位を獲得した。

【CAN'T BUY MY LOVE以降】

2007年6月13日には、 テレビ朝日系ドラマ『生徒諸君』の主題歌「My Generation」、6月公開の竹内結子主演の映画『サイドカーに犬』の主題歌「Understand」を収録した自身初となる両A面シングル『My Generation/Understand』が発売される予定である。

YUI
ディスコグラフィー

【インディーズ】

It's happy line/I know(2004年12月24日)※インディーズで九州地区限定発売(廃盤)
【シングル】

feel my soul(2005年2月23日)
Tomorrow's way(2005年6月22日)
LIFE(2005年11月9日)
TOKYO(2006年1月18日)
Good-bye days(2006年6月14日) ※YUI for 雨音薫名義
I remember you(2006年9月20日)
Rolling star(2007年1月17日)
CHE.R.RY(2007年3月7日)
My Generation/Understand(2007年6月13日 予定)

【アルバム】

FROM ME TO YOU(2006年2月22日)
CAN'T BUY MY LOVE(2007年4月4日)

YUI
出演

【映画】

タイヨウのうた(2006年6月17日公開) - 雨音薫 役

【テレビ】

CDTV
POP JAM
僕らの音楽-OUR MUSIC-
MUSIC STATION
トップランナー

【ラジオ】

TOKYO FM SCHOOL OF LOCK!内「YUI LOCKS!」毎週木曜日 23:05~23:30頃
公式サイト内「YUI RADIO」 毎週水曜日更新 時間帯不定期更新
fm fukuoka 「YUIのGirl's Fight!」 毎週金曜日 21:00~21:30 (2004年10月1日~2005年9月30日)

【CM】
au KDDI「LISMO」“au×YUI”キャンペーンCM『共演篇』(2007年2月~)

【受賞歴】

第20回日本ゴールドディスク大賞ニュー・アーティスト・オブ・ザ・イヤー[24]
第30回日本アカデミー賞新人俳優賞(『タイヨウのうた』)[20]

飯島愛【タレント検索ちゃん】

飯島愛(いいじま あい、本名:大久保 松江(おおくぼ まつえ)、1972年10月31日 - )は、日本の元AV女優で元タレント。 東京都江東区亀戸出身。元ワタナベエンターテインメント所属。身長161cm。血液型はA型。

飯島愛芸能界内での遍歴など

1992年、AV女優となる。

本名が「大久保松江」であることは2007年4月8日放送分の『ウチくる!?』にて、中山秀征により公表された。(その後、2007年5月2日に自身のブログでもさりげなく公表している)

生年月日は、当初は1973年8月25日と公表していた。本人の弁によれば、デビューしたのが夏で、すぐに芸能界からいなくなるからその前に誕生日が来ればプレゼントがもらえると思って8月生まれと言ったとのこと。現在でも、1973年8月25日生とする資料がある。
芸名の由来は、水商売時代、所属していた店のママが「みんなから愛される子になるように」という願いを込めて「愛」という源氏名を命名してくれたことによる(自著「プラトニック・セックス」より)とあるが、以前テレビ番組で「ラブ」という源氏名を自らつけたことを告白している。

「本名が垢抜けないから好きではない」と、思い切った名前をつけた。その後に勤めることになったクラブのママが「ラブ」を転じさせ「愛」にするよう指導し、理由は後付で、客に紹介する際に「みんなから愛され~」のくだりが確立された。

芸名に「飯島」という姓がつけられたのは、当時の所属事務所社長が飯島直子の大ファンだったため。飯島直子側はこれを快く思っていないと報道されることが多く、「W飯島」と括られることもあるが共演はほとんどなかった。しかし飯島直子が2006年10月に「ウチくる!?」に出演した際、両者が不仲説を明確に否定した。

1990年代前半、とんねるずのみなさんのおかげですのスタッフと木梨憲武が、飯島愛のビデオのファンであったことから番組にハプニングゲストで出演(これがテレビ番組初出演になる)。

1990年代前半、深夜番組「ギルガメッシュないと」(テレビ東京系)で、スカートをめくり、世の男たちに活力をあたえた。『Tバックの女王』と呼ばれる。その後、次第に大人の女性としてトーク番組等でバラエティタレントとして活躍している。近年は気だるく重い口調が特徴。

1993年、「ナイショ DE アイ!アイ!」で歌手デビュー。オリコン87位。このCDには飯島愛が実際に着用したパンティを細かく裁断した生地が同梱されていた。

2000年、半自伝的な小説「プラトニック・セックス」でAVや性病感染、整形手術していたこと等をカミングアウトしべストセラーに。映画化やテレビドラマ化もされ、作家活動も行っている。週刊朝日にコラム「飯島愛の錦糸町風印税生活」を執筆。また性感染症予防の啓蒙活動でも知られる。

あんたにグラッツェ!・あんグラ☆NOW!にゲストとして呼ばれた回数No.1。奢った金額トータルもNo.1。放映開始1周年を記念した回では伊倉一恵の「本の印税で益々景気がいいに違いない飯島愛さんに、オヤジ三人がおごってもらう」との冷静なナレーションの中、登場早々に高田純次らに「金おろせよ」と言われ銀行のATMから100万円を引き出す。途端にオヤジ三人のテンションは高くなり、「よし、100万円全部使い切るぞ!」「俺達いい仕事するからな」と散々。飯島愛は抵抗・抗議したが、無論受け入れられず。(エンディングでは、60万円弱を使った旨、明細が出ていた)

更には、番組最終回の打ち上げパーティーと称して高級ホテルの宴会場を借り切った際、実は招待客にパーティー費用を支払わせようと言う魂胆を知らされずに会場へ登場。総額100万円をあわや飯島愛一人で支払われそうになった。

ゲスト出演から準レギュラーを経てレギュラーになる事が多い。例としては「スパスパ人間学!」、「決定!これが日本のベスト」、「ロンドンハーツ」等がある。

胸や顔の整形等について公にカミングアウトしていて、自らのスッピンネタ等自虐系の発言も時々する。そのメイク技術はテレビ番組『くりぃむナントカ』でも、「飯島愛さん、メイクの本を出すべきですよ!」と言われたほどに絶賛だった。

2005年にブログを始める。同年、ネット配信番組に連動した株取引に関するブログも、短期間公開された。

2006年11月11日、個人事務所の経理担当の人間から数千万円もの横領被害に遭ったことをブログで告白した。

2007年3月31日、所属事務所から正式に芸能界を引退することが発表された。

飯島愛引退報道

2007年3月3日、芸能界引退の報道が流れる[1]。事務所もこの内容をFAX回答で認めた。生出演した『サンデージャポン』では、この件について、いつかは引退すると言うも3月末とは明言しなかった。その後翌週(3月10日)で3月いっぱいで引退することを本人が発表した。

腎臓病(腎盂炎)であることが報道された。それによると「症状が予想以上に重く、仕事を続ける意欲を完全に失っているという。」と理由付けされている。「引退」飯島愛を悩ます腎盂炎の深刻度 日刊ゲンダイ - 2007年3月4日。

3月末で引退予定のため、その時期にはTBSで引退特番もすでに組まれていた。[2]
彼女のブログには「引退しないでほしい」「芸能界にまた復帰してほしい」など、引退を惜しむコメントが多数書き込まれた。飯島愛も「みんなのコメント読んでるよ」と返事を書き、ファンサービスをした。

『サンデージャポン』最後の出演は2007年3月25日だが、ちょうど番組放送直前の午前9時42分頃、能登沖でマグニチュード6.9の能登半島地震が発生。TBSは地震の状況を報道。飯島愛最後の『サンデージャポン』の放送時間はわずか15分となってしまい、飯島愛本人が出演した場面は、たった3分(予告編だけ)しかなかった。飯島はこのことをブログで「大変な事態です。人命と私の引退は比べるに値しない。今はそっと、被害が最小限に収まるように見守りましょう。」と綴っている。

なお、翌日のニッポン放送の生放送ラジオ番組『テリー伊藤のってけラジオ』において、飯島愛と『サンデージャポン』で共演しているテリー伊藤が「飯島愛ちゃんの分は収録しました」と話し、来週の『サンデージャポン』で放送すると明言した。

その後、テリー伊藤の言うとおり、4月1日の『サンデージャポン』のラスト10分で、事前に収録された「飯島愛 引退ファイナルカウントダウン」と題されたVTRが放送され、飯島愛は週刊誌で報じられている「藤田晋とITビジネスを行うという説」や「ニューヨークへ移住するという説」を否定し、「(今後は)医療関係の仕事に就きたいが、今から勉強しても間に合わない。

でも、(医療と性質の似ている)カウンセリング関係の仕事をしたい」「歌や(お笑いの)ライブなど、板の上(舞台)に立つ仕事ができないと、芸能人としては限界がある。あと、病気で休んでいる時に、私の代わりになる若手はいっぱいいると思った」と語った(また、「精子バンクでシングルマザー説」については「試みようとしたことはある」と述べた)。そして、VTRの最後では、高橋ジョージが飯島愛のために「ロード」を熱唱し、飯島愛本人はみんなへの感謝のメッセージを贈った。

2007年3月31日に「目標や夢が見い出せず、芸能界で生き残っていくことは不可能」として所属事務所から正式に引退が発表された。

4/6放送の『金スマ』で、霊能師の木村藤子が「自分に嘘をついてる。あなたは病気くらいで仕事をやめるような無責任な人じゃない。芸能界を引退しては駄目。今まで築き上げたものを全部捨ててしまうことになる。(引退を撤回して苦難を)乗り越えるべき。あなたは無言のうちに人に影響を与えられる人。今が人生最高の時期。(芸能活動を続行すれば)2、3年後に大きな出来事が起こりすべてが変わる。(引退すれば)数年後に後悔する姿が見える。誰か、(飯島愛の芸能界引退を)止めてあげて下さい。あなたはこんなに愛されている」とアドバイスした。このとき、もっと飯島にアドバイスをすべきかどうかを迷う木村氏に対し、無声のまま口の動きだけで「だめ…だめ…」と訴える飯島の表情がテレビに映った。

木村がその発言をしたその次回の収録が奇しくも最後の芸能活動となるため、本人も再度引退を再考したが、結局飯島が出した結論は、「芸能界引退」。芸能活動最終日となる2007年3月31日が、その「金スマ」最終収録日となった。

2007年4月24日放送の『ロンドンハーツ』の『格付けしあう女』たちでは、(エミー賞ノミネートで、海外で引き合いが出ている)格付けの著作権が誰にあるのか尋ねたり、(変装は)スッピンが一番……等、普段と変わらない発言の後に無事格付けを卒業。いつものように明るい笑顔でスタジオから去った。その後、「番組が続く限り応援していく」とコメントを残した。ちなみに、このときの収録でドイツのプロデューサが見学していた。これが飯島愛の最後のテレビ出演と思われていたが、5月22日放送の同番組内の記憶の壁(解答者は石田純一)にも出演した。

飯島愛逸話

人気AV女優・後藤えり子にスカウトされてAV界に入った。

週刊誌が本人に許可をとらずに勝手にヌード写真を載せたとして争った事がある。

『元アダルトビデオ出演女優』の肩書き(も同然)でデビューしたにもかかわらず、その後の本人の努力によって、現在ではバラエティー番組・コメンテーター・ドラマ女優・作家・ボランティア活動等をこなすマルチタレントとして老若男女から広く支持を得るという成功をおさめた稀有な例であり、巷間のAVタレントからは憧れの的となっている。

その後、自著「プラトニック・セックス」で、AV女優経験について語っている。しかしその描写をめぐって当時の関係者に波紋が広がる(「実際以上に酷い世界であると強調している」との主張がある)。

同書を読んだ大槻ケンヂは本人に対し、「あんた、好きなことやってきただけじゃん」と呆れて、飯島も笑いながらそれを肯定した。

かつて光GENJIの大沢樹生の熱狂的なファンで、「どうしても大沢君に会いたいから一緒について来て!」と母親に泣いて頼み、2人で実際に江東区の大沢の自宅を訪ねた事実を、フジテレビ『ココリコミラクルタイプ』のスペシャルにゲスト出演した際に自ら発表した。

2002年、サッカーW杯日韓大会の韓国-イタリア戦などでの、「韓国チーム寄りの意図的な誤審では?」との疑惑(当時、ほぼ全てのマスメディアが意図的に無視していたも同然の状況であった)について、テレビ番組の「サンデージャポン」内でも疑惑について言及しない番組進行に激怒。「もうキムチは食べない」などの憤りをあらわにした発言をした(同じ不審感を持っていた一般人の代弁者になったとも言える)。

「私的(わたしてき)には」というフレーズで流行語大賞をとったことがある。
TVの前のキャラと違い、共演者・スタッフ達にはプレゼントを欠かさず贈り、営業に余念が無いと(あくまで)自ら告白している。

TVでは自由奔放で辛口発言や暴言が多いと思われがちだが、実際は非常に繊細で、辛口や暴言を吐いた相手に対し、気遣いとフォローを忘れない。また気が回りすぎて、つい虚勢を張ってしまうタイプであることを、前所属事務所の社長により告白されているが、真実は定かではない。

知識を要するクイズ番組は苦手だが、運や駆け引きを要するゲーム番組には極めて強く優勝回数も多い。

かなりのガンダム好きであり、富野由悠季と何度か対談を行っている。

父親は自民党後援会員を務めている。その縁で都知事選で柿沢弘治を応援したこともある。

1993年にダウンタウンの番組(「ダウンタウン汁」)にゲスト出演した際、事前にダウンタウン側に「AV女優時代の話はしないで欲しい」との要望(本人、事務所のどちらからのものかは不明)が伝えられた。

これを聞いた松本人志はあえてAV女優時代の話をしようと思ったが、生放送ではないためカットされるとみて要望通りトークを行った。これについて松本は著書『「松本」の「遺書」』で「過去の自分があるから今の自分があるのではないか」と憤慨している。

また松本は2005年にも自身のラジオでこの件について嫌悪感を露にした発言をしており、現在まで飯島がダウンタウンの番組に出演しない原因になっていると思われる。 

AV業界でも飯島愛のこの態度に苦言を呈す人が多く、AV男優の加藤鷹は「嘘ばかり書いた本(プラトニック・セックス)を出して、自分を育ててくれたAV界を足蹴りにしたような女は俺は嫌いだ。」と痛烈に批判している。

2006年、『ウチくる!?スペシャル』に江原啓之が出演した際に、「“とにかくかわいそうなくらい繊細過ぎる。外見の印象と全く違う人。オーラの色はきれいな紫の色を持ってるが微弱。他人を信じ過ぎて、疑う事を知らな過ぎたために、さんざん、裏切られた事がいっぱいある。

他人からの愛を信じられない所がある。他人への施しは程々にして、自分の幸せを考えなさい。去年まで人間関係、ゴタゴタ、色々とあったが、全部、切り捨て、今年から気持ちを切り替えて、新しい方向へ行きなさい。今まで一度も甘えた事が無い。自分自身が甘えられる環境を作る事がこれからの課題。幸せはある”と守護霊からのメッセージがあった」と指摘された。

芸能人の昔を再現フィルムなどで見せるという特番では中学の写真一枚で終わった。

ブログでデザイン事務所へアルバイトに出かけると言い、その頼りなさに多数の助言がコメント欄でなされた。真偽の程は彼女のそれへの回答がない為、明らかではない。

飯島愛主な出演番組

【テレビ】

未来MODEL(テレビ東京系、2005年終了)
スパスパ人間学!(TBS系、2005年終了)
スーパークイズスペシャル(日本テレビ系、1999年終了)
クイズ世界はSHOW by ショーバイ!! 常連ゲスト解答者(日本テレビ系、1996年終了)
新装開店!SHOW by ショーバイ!!
新装開店!SHOW by ショーバイ2
マジカル頭脳パワー!! 常連ゲスト解答者(日本テレビ系、1999年終了)
クイズ赤恥青恥 準レギュラー解答者(1995年~2002年)(テレビ東京系)
ろみひー レギュラー(1999年4月~2003年3月)(中京テレビ製作)
あんたにグラッツェ!・あんグラ☆NOW! ゲスト(2001年4月~2004年3月(中京テレビ製作)
所さん&おすぎの偉大なるトホホ人物伝 準レギュラー(2004年~2005年)(テレビ東京系)
決定!これが日本のベスト 準レギュラー(初期~中期)(テレビ朝日系)
タモリのSUPERボキャブラ天国 準レギュラー審査員(フジテレビ系、フジテレビ721にて再放送中)
タモリの超ボキャブラ天国
黄金ボキャブラ天国
家族そろってボキャブラ天国
続ボキャブラ天国
ウチくる!?(フジテレビ系)
中居正広の金曜日のスマたちへ(TBS系)
サンデージャポン(TBS系:2006年11月12日・12月3日は出演せず)
金のA様×銀のA様(日本テレビ系)
ロンドンハーツ(テレビ朝日系)
エンターテイメント・マザーズ TV(BS-i)
爆笑問題&日本国民のセンセイ教えて下さい!(テレビ朝日)
FNSソフト工場『嘉門達夫と飯島愛のみちのくお遍路いい人いい歌の旅』(仙台放送製作フジテレビ系、1999年12月15日放送)

【映画】

ヅラ刑事 - 2006年9月16日公開(ホステス役で友情出演)
バブルへGO!! タイムマシンはドラム式 - 2007年2月10日公開(本人役カメオ出演)

【CM】

NTTパーソナル東海
まんがの森

【ラジオ】

飯島愛のallnightnippon sunday.com(ニッポン放送、2003年終了)

【インターネットテレビ】

渋谷ではたらく社長の会食

【連載】

日経エンタテインメント対談連載「お友達になりたい!」(日経BP社)
POPTEEN連載「飯島 愛のLOVE&SEX ER恋愛緊急救命室」

【書籍】

「タイムトラベラーズ愛」の漫画原案
「どうせバカだと思ってんでしょ!!」
「プラトニック・セックス」(小学館、ISBN 4093792070、2000年10月)
「生病検査薬≒性病検査薬」(朝日新聞社、ISBN 4022578440、2003年6月)

【ビデオ】

音楽ビデオ:「ナイショDEアイアイ」
テレビTーバックビデオ
まんがの森CM

【音楽作品】

ナイショ DE アイ!アイ!(1993年7月21日発売)
“愛”のクリスマス・メモリー(1993年11月21日発売)
あの娘はハデ好き(1994年2月2日発売)
まんがらりん(1994年5月1日発売)
Dear女子高生(1994年10月21日発売)作詞・飯島愛、水野有平 作曲・水野有平
なんてったって飯島愛(1993年12月1日発売)
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